譜面台の陰から
>思い込み<
思い込みというのは誰でも持っていると思います。
人間かなりの部分で思い込みで生きてるといってもいいのかも・・・。
歳を取るごとにそれは増幅されて強固になっていく。
頑固爺なんて言葉があるわけですが、
長年生きてきて体験したこと見たこと聞いたこと、
そういうもろもろのことが積み重なって、
なかなか余人では動かしがたいものを形成してるのが、
頑固といわれるものであるわけです。
頑固の中身というのは、
良い体験、気分の悪い体験がないまぜになってできてるんですね。
これを突き崩すのは非常に難しい。
鉄より硬い壁でおおわれてる場合がほとんど・・・。
歳とともに柔軟な範囲は狭まってきて、
ほとんど個人的な世界に安住するようになるんですね。
そうなると進歩というのは限られてきて、
何となく自分の可能性というものに、
あきらめがついてきてしまうんですね。
最近これが結構若い人の間にも広がってきてるような話を聞きます。
思い込みの中に閉じこもると、
ある意味楽なんですね。
新しものを受け入れるというのは結構エネルギーを必要とするし、
それまでの自分というものを、
否定しなければならない部分が出てくるんですね。
こういう状況ってまず自分自身の内面では面白くはないですね。
まず自分を肯定してもらえるというのは安心感もあり、
なんか元気になりますよね。
人間というのは自己満足を認められると、
結構いい気分になれてしかも充実するんですよね。
しかし、その結果そこで上達はストップするんですね。
楽器を演奏するというのも結構似たようなところがあって、
ギターに魅力を感じてこの楽器を自分のものとして弾きこなしたい。
当然その気持ちというのは演奏するメインなんですね。
その気持ちというのは非常に大事なものではありますが、
そこで出てくるのが自分の持っている理想というものですね。
いろいろな演奏があふれているわけですが、
その時の自分の感性にマッチした演奏というのは、
おおよそ強い印象となって強固に形作られてるんですね。
その演奏に近づきたい!!
まあ、当然の欲求ではあるんですよね。
ある意味その演奏に近づくためにつらい練習もしてるわけです。
その気持ちというのは否定はできない。
理想の演奏に近づけたいから練習です。
しかし、心理とバラには棘があるという言葉通りなんですね。
なかなかCDのような演奏というのは難しいです。
そこで出てくるのが理想という思い込みです。
演奏というのは理想から入って現実に帰結させないと、
きわめてつまらないもののになってしまうんですね。
ある程度のところで自分の演奏の理想を外して、
こうあるべきだの思い込みから離れてみると、
また新たな発見があるんですね。
自分はこうだからこういう演奏をする・・・、
じゃなくて、こうだから違う方向から見てみる。
綺麗に整った演奏、凄いテクニックで弾かれる演奏。
そういう演奏がすべてと思い込んでしまうと、
なんだか厳しい気がする・・・。
こちらの演奏もいいけどあちらの演奏もまたいいんですよね。
ミスがあるとダメという思い込みで聴いてると、
なんだかつまらないもんなんですね。
演奏するほうもミスばかりを気にして演奏するから、
弾く人弾く人皆同じようになる。
ミスがないのにこしたことはないですが、
ミス無しで弾くという思い込みはいいものではないですね。
自分の持ち味にあった演奏ができればそれでよしなんですね。
一方向からの思い込みに振り回されると、
その人らしさってなくなるんですよね。
どうしたら今の自分の今の思い込みを破って、
新しい自分を見つけるのか・・・。
けっこう我慢させられる面もあると思うのですが、
こういうことを考えてみるのも楽しいですよね。
趣味というのはそういう柔軟な自分の世界観を発揮するのに、
ちょうどいいんですね。
趣味が遊びと違うのはそういうところかもしれないですね。
なにしろ今の自分とは、
おおよそかけ離れた発想というのもできるわけですから・・・。
今までとはちょっと違う演奏というのを、
考えてみるのもいいかもしれないですね。
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