譜面台の陰から



                            >無から有<



最近思うことは、

まったくギターに触ったことのない方が生徒として、

ギターのレッスンを積み重ねていくうちに、

曲を弾けるようになる。

それを傍らで見続けているわけですが、

なんだか不思議な感じがします。

ギターを構えるのも怪しいところから出発するわけで、

パッと見、弾けるようになる感じには見えない。

それが一年もするかしないかで、とにかくという感じで曲にたどり着く。

そこからなをも積み重ねていくと、

いろんなジャンルのギターの名曲といわれる曲を弾くようになる。

初めてレッスンに来た人とは到底思えない変貌を遂げる。

これこそ全くなにもないところから形が現れたということだろう。

人間にはいろんな能力が備わってると思いますが、

何もないところから何か形を生み出すという能力は、

人間だけの能力じゃないかと思う。

音楽は実際、形として目には見えない。

しかし、これも構築物であることに間違いはない。

めちゃくちゃに音が出てるわけではなくて、

きちんとした曲になるための図面が引かれている。

その図面に沿って音が積み重ねられていて、

それを正確になぞれるようになれば、

ある意味整然とした音楽になる。

難しい設計図をしっかりたどれるようになれば、

それだけ難しい曲を弾くことができる。

更地に建物が建つということに変わりはない。

曲のジャンルを問わずそれは変わらないと思う。

形として目に見えないから難しいところもありますが、

簡単箱から複雑な構築物を作り出していることは間違いない。

それが全く何もないところから出現していく。

人類が発展できたのはこの能力が備わっていたからだと思う。

無から有へ構築できる能力こそ人類が持つ比類ない能力だと思う。

それがレッスンで初めての方がゼロから具体的な形になっていく過程を見てると、

なんとも不思議でならない・・・。

ただ残念に思うことは、

この無の状態のことをほぼ全員忘れてしまうことだ。

無の状態を忘れてしまうからなんとも簡単に崩壊してしまう。

ま、人間というのは忘れる能力も強力なので、

破壊して創造というプロセスがなりたつんだとは思いますが・・・。

無から有になったものをもう少し大事にできないのかなという思います。

目に見えないだけに破壊も簡単なわけです。

これが目に見えるものだと、

そうは簡単に破壊はできないんじゃないかと思います。

無から現れる世界はそう簡単に個人で目に見える形にするのは大変です。

建築物となるとほぼ無理ですね。

オリンピックのスタジアムなど絶対に不可能です。

しかし、音楽の世界はだれでもかなりのところまで具体化できるものです。

イメージの世界に土地は必要ないからです。

才能も関係なくだれでも構築していくことができるわけです。

音楽で無から有を生み出すことは、

子供でも大人でも年配の方でだれでも可能です。

表現の可能性も、ものすごく広げていくことができる。

彫刻、絵画、建築・・・これらで何かを表現しようとすると、

目に見える道具が必要です。

目に見える物に対しては人間は厳しくなるんですね。

とても誰でもというふうにはならない・・・。

限られたスペースに限られた人数しか入れないんですね。

しかし、音楽は楽器が一台あればOKです。

楽器一台で巨大な構築物を表現できるわけです。

技術的なことは限界があるかもしれないですが、

表現には限界は、ほぼないです。

無から具体的になったところで表現ができるわけですから、

これは大きなものといえると思います。

しかも誰でもできるということですから・・・。

目に見えるわけではないので自由度も高いです。

まったく何もないところから自分の思うことが作り出せる。

一人ひとり持てる技術は違いますが、

今持てる技術で作り出せる。

才能があるとかないとか関係なく、

自分の世界を作り出すことができる。

基本を積み重ねるていけば、

誰でもというところが凄いと思う。

無から有というのは、

楽器の世界ではすべて可能だと思う。

これはやはり素晴らしいことですよね。




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