◇1967年 現代ギター8月号 NO,5より◇
少し前に古物商のところにあった現代ギター第5号を発見。
1967年ということだといまから51年前ですね。
今の現代ギターから考えられないほど素朴です。
表紙はピカソを思わせるキュピズム系の装丁。
サイズもいまのものより一回りは小さいです、B5サイズですかね。
ページ数もかなり少なめです。
その中から今回は、
石月一匡氏(ギター室内楽協会主催)の室内楽について、
氏が書かれている記事を掲載したいと思います。
けっこう過激に書かれてますが、
今とは若干状況は違う面もあるのかなとは思います。
記事掲載当時の石月氏
室内楽のコンサートで演奏中の石月氏
>ギター室内楽とその演奏<
(音楽を総合的に理解するためのギター室内楽)
(一)(二)(三)(四)
〜ギター室内楽を研究する意義〜
これは私見になるかもしれないが、
ギターはやはり独奏が最も適していて表現力が豊かであるのを、
室内楽の演奏を通じて常に深く感ずる。
ある人は室内楽は、
演奏会の一部に色を添える意味で行われる程度がほどよいもので、
それを専門に研究するというのは横道にそれていると見てるようである。
楽しみの一端として演奏するのが室内楽である・・・とも言われている。
いずれの考え方も誤りではなく至極もっともなことではあるが、
現実にギター室内楽の演奏に直面してみると、
一朝一夕でよい演奏効果を出すことは、
不可能であるということに気が付くのである。
本当に優れた内容の演奏をするには、
ギター奏者だけではなく、
それを取り巻く楽器の奏者が、
まずギターという楽器を理解して演奏に当たらなければならない。
ギター奏者も勿論他の楽器を理解して合奏することが大切であるが、
これらのことは長い時間をかけて研究してみないと効果は表れない。
そこで専門的な研究が必要になるのである。
音楽の最も完成した形の一つとして室内楽は存在する。
たとえ独奏専門のギター奏者といえどもこの分野を通らずして、
いきなりソリストになろうとすることは賛成できない。
真の音楽を知らずして本格的な独奏者にはなれないはずである。
見解の相違であるなどといっては、
すまされぬ問題だと思うのだが・・・。=つづく=
注)現代ギターに掲載されている記事全文は長大であり、
ここに全て載せることはできないので、
重要と思われる部分だけを抜き出して掲載してあります。
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