=大作曲家横道話





クラシック音楽の世界でバッハと言えば、
誰でも一度は聞いたことのある名前だと思う。
とにかく生涯に何千曲と作曲した凄い人。
しかし、意外と今の人が思うほどの意識は本人にはあまりなく、
生活のためにひたすら作曲した結果ということもあるようだ。

バッハが生活したこの時代、
音楽家の社会的地位は驚くほど低く、
生活の手段というのは教会の音楽を担当する人か
宮廷楽師というところしかなかった。
バッハの長大な作曲量も毎日教会のための音楽を書いていた結果。
芸術のためなどという概念は全くなかった。
本人も芸術家という意識は全くなかっただろう。
バッハのこの時代音楽を芸術とみる風潮はなく、
音楽を芸術とみるのはベートーヴェン以降かな。

バッハはとにかく子だくさん。
二度の結婚で20人の子をなした。
ただ実際に成人した子供は半分くらい。
バッハの時代衛生面でも伝染病にして、
もとにかく死にやすい状況が整っていたということだろう。
この大家族のためにとにかくよく働いたのがバッハ。
どんな曲の注文でも受けて作曲したようだ。
そのくらいでないと何千曲もの曲は残らない。
ただオペラ作品というのが一曲もない。
なぜか、単純に作曲の依頼ががなかったということらしい。
生活費に直結しないものには手を出さなかったということだろう。
芸術のためにという概念は全くなかった。

作曲に関しては頑固に自分流を守ったらしい。
もちろん周囲の状況を取り入れながらということらしいが、
それでも自分の意志は曲げない頑固さで作曲に向かい合った。
とにかくどの曲も駄作がないのはやはり意志力を感じる。
現代の我々感じてるような感じでバッハの曲を、
周囲が感じていたかはどうも疑問だ・・・。
バッハの作品は千曲くらいが残っているようだが、
実際はもっとあったのではないかと言われている。
バッハの死後息子たちが、
残った楽譜を金策に困って売ってしまったのではないかということだ。
今のように大作曲家という認識はなかったということがわかる。

強靭な体力を誇ったバッハも1749年 5月、脳卒中で倒れた。
それ以外にも白内障で悩まされたようだ。
視力が落ちて作曲も大変になったのだが。
イギリス貴族のジョン・テイラーなる眼科の名医に手術を依頼。
結果、病状はさらにひどくなり視力体力が落ち、
手術後三か月でこの世を去ってしまった、65歳だった。
この医者がそうとうなインチキで、
ドイツのフリードリッヒ大王に追放されたような人物。
そういうこともマスコミのない時代で知らなかったようだ。
ヘンデルも目の手術を受けて失敗に終わったということ。
どの時代にもとんでもないのはいますね。

バッハの遺体は聖トマス教会のどこかにあるといわれてきたのですが、
150年経って教会の拡張工事の時に発見された。
その頭蓋骨を専門家が鑑定し、
精密に顔を復元していくと、
肖像画の通りの顔が出現し、
これがバッハの遺骨だろうと断定されたということだ。

バッハを主人公にした映画とか舞台とかはまず聞くことはない。
結局、劇的な要素があまりなかったということ・・・。
ベートーヴェンのような劇的なこともないし、
シューベルトの未完成のような甘い旋律の音楽もない。
物語になりにくい典型的なマイホームパパだったということだろう。
とにかく真面目にコツコツ生涯地味に働き続けたということ。
外国に出ることもなくドイツ国内で生涯を終えたのも、
物語性が乏しいということでしょうね。


  





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