Final 19/Final 19 (Final 29 REWORK) 


   
Genre:DANCE SPEED BPM:194



  Sound / FT 718

「超突貫だったから、いつかリメイクしたいなぁ…」なんて思っていたら、
瞬く間に10年過ぎてしまった。

2018年も2月になり、
「また節目が来るから、Final 29でも作曲しようかね?」と思ったものの、
自分の容態と相談した結果、
「作曲環境を元通りにして、Final 19をリメイクしてみよう」という結論に至った。

2016年の2月にパソコンを買い換え、
DAWをインストールし直したまでは良かったのだが、
音源やエフェクターの再インストールを2年間一切やってこなかったのだ。

「dllファイル移動」「msiファイル起動」「解凍」「動作検証」といった、
たった数分で終わるような作業さえも、
「やる気が起きない・めんどくさい」と思って放置していた。
(量が膨大だった、前職が超多忙だった為でもあるが)
鬱病とはこういうものである。

2018年に入り、容態も昨年よりは改善してきていたので、
一念発起して音源再インストールと楽曲リメイクに着手したのだった。

音源の再インストールは流石に数が多く、
新規導入も含めてほぼ3週間を要した。
(労基署とのやり取りでちょっと立て込んでいたのもあったが)
更に、2月20日頃から「リメイクに取り掛かろう」としたものの、
容態が悪化すると共に、古傷の後遺症も悪化(鬱病は波があるので)。

「やる気が出ない・節々が痛い・抗鬱剤の副作用で眠い」と言い訳を付けて
2〜3日ぐうたら過ごしてしまった結果、
プロジェクトファイルを立ち上げたのは24日の夕方になってしまった。

元データは環境が違いすぎて開けないので、
某アニメを観ながらmidiを打ち直し、
原曲のトラック別データを貼り付けて、原曲を再現しつつ、
一部の和音構成を直したり、新たな展開やネタを仕込んでいった。

「パロディのゴリ押し」に感化された事もあり、
原曲を更にTime to Airへ近づけ、
同作曲者の別曲のパロディも少数ながら仕込んでみた。
その結果、1箇所タイムパラドックスが起きてしまったが(汗)。だめだ!ポ…

2008年頃の青龍DANCE SPEEDは、
キックとベースがかなり強調されているのが特徴だったものの、
(最近では高速ユーロトランス寄りなサウンドに変わっていると思う)
原曲はドラムを筆頭に低音が非常に弱く、
まさに「劣化コピー」としか言えない仕上がりだったので、
キックやベースの差し替えは思いの他難航した。
新しくしたキックのサンプルが元から1/96拍ずれており、
それに気付いたのが製作終盤で…(笑)。

当初は全音源を差し替ようかと思ったが、
当時の青臭さも味になっているかなぁ?と思い、一部に留めた。
(ちなみに原曲もリメイクも、8割はReFX Vanguardで鳴らしている)
…ぶっちゃけ面倒だったから(笑)。

実を言うと、「Final 19」には
「今以上にもっと元気にやっていこう」という裏コンセプトがあった。(突貫だけど)
10年経ってリメイクするに当たり、
「あれから色々あり過ぎてこんな状態になっちゃったけど、きっといい事あるさ」
というメッセージも新たに込めた。(和音構成の修正とかに反映したつもり)

リメイクではあるが、タイトルを「リワーク」と銘打ったのも、
製作中の自らの状況が重なったからなのかもしれない(後付だけど)。
*英語のreworkは「手直し・再加工」等、文字通りな意味だが、
 日本語片仮名の「リワーク」は「復職支援」という意味の
 福祉用語として用いられている。

長くなったが、何かしら前向きになっていただけたら幸甚である。

(原曲コメント)
ありきたりなものの、24時間で曲を作ってみようという思いつきで出来た曲。
タイトルで分かると思いますが、全て「若気の至り」です(笑)。

当時の技量なので聞き苦しい部分もあるとは思います。
青龍リスペクトなのは聴いて分かるかと…。

【裏話】
タイトルで分かると思うが、この曲は自身の成人を記念し、
「24時間作曲=1日で製作」したものである。
(補足:2008年当時の日本国の成人年齢は20歳だった)

作曲時は、大学のプログラムで米国留学中であり、
キリスト教神父の御家庭にホームステイしていた。
(「ゼブラヘッド」と言えば場所は御想像がつくかと)

この曲を作っていた日、ホストファミリーは
教会のおつとめ(?)で全員出払っていて、私はお留守番だった。

同日、同プログラムの参加者で特に懇意にしていた、
「からかわれ上手の高木さん」から
「予定ないからどっか出かけない?」という
個人的なお誘いがあったそうなのだが、
曲製作に没頭していた所為で、
家の呼び鈴をシカトしてしまったのだ。

それから4年後の大学院卒業式で、
先方の御両親と偶然初対面したのだが、
(留学終了後も履修科目や卒研・修論で引き続き懇意にはしていた)
先方の御両親の話を聞くに、かなり好印象を持たれていたので、
「ハタチの誕生日の時、その呼び鈴に気付いていれば、
俺はリア充になっていただろうに…」と、
仮定法過去な文章が脳裏に浮かんだのだった。

そんな、煮え切らなかったロマンスや哀愁が、
どことな〜く曲に込められている…かもしれない。(謎)