What's Fado?

 ファドの起源には諸説ありますが、DVD「アマリア・ロドリゲスの芸術」(東芝EMI)の解説にわかりやすく書いてあるのでそちらを紹介します。

 ポルトガルの首都リスボンに生まれた歌曲形式 <<ファド>> の起源について、確かなことはわかっていない。
 ある人は、かつてこの土地を占領していたイスラム教徒の影響により、11〜12世紀のアラビアの歌謡に発しているという。これはあまりにも遠すぎる説だけれど、ポルトガル音楽全体にアラブの影響があることは本当だ。
 「アラビア風というと、みんなスペイン音楽だと思うけれど、ポルトガルにもすごく残っているのよ」と、アマリア・ロドリゲスさんも筆者に実例を歌ってくれたのを思い出す。
 わりあい広く認められている説は、ポルトガルの植民地だったブラジルに生まれた「悲しげな舞曲」の形式ファドが、ポルトガルに逆輸入されたというものだ。
 ファドはアルゼンチン・タンゴと共通点があると指摘する人もいる。このビデオで、アマリアさんが若いころ、偉大なタンゴ歌手カルロス・ガルデルの歌が好きだったと言っている。大いに共感するものがあったのだろう。ファドもタンゴも港町に生まれ、根無し草の旅人の心情や、失意の悩みをもった歌だ。
 アマリアさんは、あるとき言った。
 「ポルトガルでもアルゼンチンでも、貧しさは同じなんですよ」
 そう、ファドはリスボンの貧しい下町、昔ながらの石畳の街で生まれ育った、悲しみを宿した歌である。19世紀前半に、今のようなファドのスタイルがすでにあったと思われる。
 10代のアマリアさんがデビューしたファド・クラブの名前が <<セヴェーラの隠れ家>> ─ セヴェーラは伝説的な女性のファドの歌い手である。彼女は1846年に肺病で亡くなったが、そのとき街で歌われたファドの歌詞が残っている。
 「泣け、ファドの歌い手たち、泣け!セヴェーラはもう死んでしまった」
 ファドはやがて、酒場や民衆サロンの狭い場所から出て、劇場でも公演されるようになった。たくさんの素晴らしい歌い手たち
(大半は女性だった)が登場し、すぐれた作詞・作曲家(多くはギタリストであった)が参加してくる。
 小さな国ポルトガルの首都の一画に生まれた貧しい歌ファドは、外国にも浸透していく。その歴史のひとつの頂点が、ファドというジャンルを超えた、20世紀の世界の最高の女性歌手のひとり、アマリア・ロドリゲスである。
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