マニアになるか、ミュージシャンになるか

 

 よく、ミュージシャンがはじめて買ったレコードというのを見ると、たいした音楽作品ではないことが多い。そして、音楽マニアの人間は、はじめからマニアックなレコードを買っていたりするものだ。これはなぜかというと、簡単に説明がつくような気がする。まず、なぜたいしたことのない音楽を聴いてた人がミュージシャンを目指すのかというと、その音楽に満足できなくなるからである。では、マニアになる人間はその逆で、別に自分で苦労して作らなくても、探せばごろごろすごい音楽があるということ、そして新しい音楽を作り出す難しさを早い時期に知ってしまうことが原因であろう。

 ならば、ミュージシャンは音楽マニアではないのかというと、決してそうではない。ミュージシャンになるということは、好きが高じて音楽でメシを食っていくというその道のプロになるということであり、これこそ真のマニアの姿だと言える。それに、売れたミュージシャンはいろいろな音楽を聴いているものだ。さっき言ったことと違うといわれるかもしれないが、それにはこういう理由があるのではないかと私は推測する。

 はじめはたいした事のない音楽を聴いているが、だんだんといろいろなものを知るようになってくるのである。たとえば、偶然ラジオから流れてきたツェペリンの音楽に感動したとかがそれにあたる。それに、音楽をやっていれば、音楽を通じて共通の仲間ができるし、そこから情報交換の場が持てるというわけだ。

 それでは、マニアはどうなるかというと、まず最初にマニアックなレコードを買ってしまった人間は、さらにマニアックな方向に進んでいくことになる。そうなれば、必然的に売れている音楽というものに関心をあまり示さなくなるのではなかろうか。 休日、金があれば西新宿や下北沢にレコードを物色しにいき、金がなければ家で繰り返しレコードを聴く。友人の話す低俗な(彼らには、そう思える。)音楽話にはついていけず、自分の音楽的趣味を友人に理解してもらえない。そして、だんだんと音楽的な話には秘密主義になっていってしまうのだ。

  なぜ、秘密主義になってしまうかというと、これには2パターンあると私は考える。単純な理由としては、どうせ理解してもらえないというあきらめからであり、救いようがない理由としては、誰よりもマニアックな音楽を聴いている自分は、他人よりもすごい人間のように思えてしまい、愚民には自分のような崇高な音楽を理解できまいというどうしようもない優越感からくる心理からであろう。前者の場合、同じような人間と会うと、うれしくてたまらないものだが、後者の場合、自分より音楽に詳しかったりすると嫉妬し対抗しだす場合がある。なぜなら、後者のような自閉的なオタク思考しか持ち合わせていない人間の場合、音楽マニアであるとうことが自分の誇りでありすべてであるので、そこで負けた場合、自分が自信を持てるものがないのだ。それに、実際に音楽を作っているわけではなく、ただ作られたものを収集しているだけということに気がつけるほどの知恵を持ち合わせてはいない。もし、そのような知恵を持ち合わせていれば、そのような人間になるはずはないのだから。

 自分が仲間だからかばうというわけではないが、音楽マニアは決して悪いものではない。本当に音楽が好きであるという点に関しては、ミュージシャンと同じであるし、個を捨てて商業主義(*注1)にばかり走っているようなミュージシャンよりは、音楽を愛する心は断然高いはずだ。

 それに、音楽マニアは音楽とかかわって仕事できないのかというと決してそうではなく、評論家になるという選択肢がある。よく、評論家というものを馬鹿にする人もいるが、評論家は尊敬に値する仕事だと私は考えている。 たしかに、TVによく出ている音楽評論家には、しょうもないことを言っている人が多いことは認める。しかし、それはしょうもない音楽ばかり作っているミュージシャンがいるのと同じことであって、そこだけで非難するのは、はなはだ間違いである。それに、ジャンルは違うが、コリン・ウィルソンやボルヘス(*注2)のように、一流の評論ができるからこそ、一流の作品を作れるということだってあるのだ。水野晴郎のように、「映画なんかたいした主張はないんですよ」と、公共の電波で言い放ってしまうしょうもない映画評論家が作った作品(*注3)が、大ブレイクしてしまう例もあるのといえばあるのだが。(無論、あれは違う意味で大ブレイクしているのだが)

 結局何が言いたいのかというと、たいしたことが言いたいわけではなく、ただ思ったことを書いただけなのだ。まあ、結局のところ、音楽産業も、星の数ほどのB級バンドの活躍があってここまでこれたわけだし、それを音楽マニアが支えてきたからこそ今があるのだ。つまり、どっちがえらいとか言いたいわけではなく、どっちも必要な人種であるということを言いたかったのかもしれない。

 

*注1・・・商業主義は決して悪くはない。目的は何であれ、良い作品が生まれる可能性は大いにある。なんでも、商業主義だと批判ばかりするのは間違っている。

*注2・・・著名な作家で文学評論家。コリン・ウィルソンは、音楽評論も有名。

*注3・・・無論、「シベリア超特急」のこと。どうしようもなさを、真の意味で笑いという形に変えられた作品として、この作品と「ベルリン忠臣蔵」を、私は大いに評価したい。私は、この作品が大好きである。