〜伝承歌劇団の意義〜

 現在は、オタク世代の全盛期だといえる。 しかし、80年代のような陰気で社交性のない安易でニヒリズム的なオタク世代は終わりを告げ、 現在は行動的なオタク世代だと言えよう。 そういう時代を考えると、伝承歌劇団の出現は必然だったのかもしれない。

 彼らは、自らが意識していないとしても、旧世代的なオタク世代との決別の象徴として出現したのではないだろうか。 私は、一般的に言うアニメオタクなどではなく、むしろそういう人たちとは肌が合わない部類の人種だが、 アニメオタクと言っても、アニメが人より好きなだけで、 実際には、私のように音楽が人より好きな人種となんら変わりはない。 しかし、彼らが差別されつづけてきたのは、旧世代的オタクの悪い精神性を受け継いでいたからである。

  だが、伝承歌劇団は違っていた。彼らには、旧世代的なオタク思想はなく、彼らのオタクであることへの自信と音楽との融合は、感動すら覚えさせてくれる魅力がある。 プロデューサー的立場にいるボーカルのダーナは、近田春夫や、馬飼野康二、筒美京平などの歌謡曲やスペクトラム、 難波弘之などが好きで、ギターのルミーノは国内外のHR/HMが好きである。 そう、彼らの場合、音楽的にもオタクなのだ。

  彼らは、すべてがオタク的であるのに、昔のオタクの得意技であった世間を批判するような態度をみせることはない。 それは、彼らがオタクであることを誇りに思い、真の(音楽的にも、何に対してにも)オタクでしかできないことをやっている という自信のなせる技である。 これが、彼らがオタクからも、オタクではない人からも支持される所以である。

 元来、音楽家はオタクが多く、音楽家として飯を食べていくというのは、それだけ音楽マニアだという証拠である。 そのような人たちが、「自分はオタクではない」と言うのは、お寒いだけであり、「自分はオタクである」と言える人こそ、 真に格好良いと言える時代が到来したのではないだろうか。 日本の有名な若手プロデューサーの音楽を、多少音楽好きな人が聞くと「ずいぶんマニアックなところから パクッてくるな〜。こいつマニアだな〜」と、思ってしまうものだ。 よく、マニアとオタクは別物だと言うが、何が違うというのか私には理解できない。 結局、度を過ぎた愛好家であるという点では、同じ穴の狢ではないか。 私はオタクではなくマニアだという逃げ道は、かなりレベルの低い格好つけでしかないのではないのか。 「格好いいことは、なんて格好わるいんだろう」と、早川義夫先生も言っているではないか。今こそ、自分がオタクであると大声で宣言できる時代だということを、伝承歌劇団は体現しているのだ。

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