【Meet The Earthshaker】アースシェイカーとの出会い


高校に入った僕は相変わらず洋楽三昧で、日本の歌謡曲はもとより、日本のロックなどという音楽分野があることすら知らないに等しかった。

EARTHSHAKERは1978年にシャラ(G)、二井原実(Vo & B)渡辺芳信(Ds)の三名で結成された。
1979年1月に新ドラマーとしてクドーが加入。さらに翌1980年9月には、デビューメンバーであり、実際の意味でのオリジナルメンバーにあたるマーシーとカイが正式加入しライブ活動を開始した。シャラの言葉を借りれば「京都で暇そうにしてたマーシーとカイに入ってもらった」ということらしい。
その後、各地で精力的にライブを行い、関東ではライブハウスの観客動員新記録を樹立。
1982年7月31日には、アマチュアとしては異例の第2回 JAPAN HEAVY METAL FESTIVAL に出演。これには初期の作品のプロデュースを手がけた伊藤政則氏の尽力があった。

そして1983年3月21日である。僕が14歳の誕生日を祝っていたまさにその日、バンド名を冠したデビューアルバム「EARTHSHAKER」が発表された。
そのほんの数日前、僕は一本のカセットテープのダビングを父親から頼まれていた。当時サラリーマンだった父が知人から借りたというそのカセットには、点滴ルートがつながったフライングVの写真がカセットケースのレーベルに貼られていた。僕はその奇妙な写真の貼られたテープから流れる音楽にあまり興味を示すことなく、ダビングだけすると父にテープを返した。僕は当時、ビートルズに夢中で、洋楽しか聴かなかったのだ。そのカセットテープこそ1st ALBUM「EARTHSHAKER」であることを知るのはその翌年のことであった。

高校に入った僕は相変わらず洋楽三昧で、日本の歌謡曲はもとより、日本のロックなどという音楽分野があることすら知らないに等しかった。
そんな僕がEARTHSHAKERを知るきっかけとなったのは文化祭の出店であった。
僕らのクラスは教室でライブハウスをやるということになった。当時、仲のよかったドラマーのSという男が家のガレージを改造したスタジオを持っていて、そこでよく練習していたのだ。
本番が近づいたある日、当日演る曲をテープにダビングするので事前に聴いておいて欲しいとSはクラスのみんなにアナウンスした。その言葉に応えてダビングを頼んだのは僕を含めてかなりの人数がいたが、Sは翌々日にはダビングを完了して持ってきた。Sとは仲がよかったからというのもあったが、それよりも全く知りもしない曲を大音量で聴かされるのはたまったもんじゃないというのがコピーを頼んだもうひとつの理由だった。

そのテープの中の一曲が「MORE」だった。使い古して伸びきったソニーのテープから流れるその曲のイントロは感動的なほどカッコよかった。「もっともっと孤独よ踊れ」という歌詞がまたよかった。
生まれ故郷を遠く離れたこと、仲のよかった同級生とわけも分からず仲違いしてしまったこと、あるいは親父が脱サラして店を始め家には両親不在となっていたこと、そんないろいろな要素が渦巻いていたせいもあるのかもしれないが、おそらく十代前半という少年期特有の孤独感がその歌詞に呼応し、僕の心を捉えて離さなかったのだろうといま僕は感じている。
以降、僕はEARTHSHAKERにのめり込むことになる。
これは余談になるがSは唯一同期で大学に進学しなかった男子生徒で、今も北海道を中心にサーキットするハードロックバンドで音楽活動を続けているらしい。 (/波寧米兵衛 1997.12)

Posted: Fri - December 19, 1997 at 09:51 PM      
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