今日はチャキの成り立ちなどについてスピークアップする。
心して聞くように。
チャキはWW2後、1948年に京都で出来たメーカーで、
当時は茶木初代が独りで細々とやっている弦楽器屋だった。
一番初めに作っていたのがクラシックギターらしいが、
その詳細は不明である。
その後、弦楽器、つまりコントラバスやバイオリン、
そしてピックギター等を製作していくのだが、その時はパチモンとしての見られ方が強く、
村八分的存在だったらしい。
その為、値段もやすかったし、それは金のない厨房でも買えるほどだった。
だいたいにおいてギターメーカーは同じような路をたどる訳だが、
そのまま消え行くか、それとも有名になるかは、
それを操る存在、つまりアーチストが全ての鍵を握っているといっても過言ではないだろう。
ギブソン社のレスポール、フェンダーのジミヘン、そしてリッケンのビートルズがそれを証明している。
もちろんチャキも例外ではなく、そこにイノベーダーとして人物がいる。
その名は内田姦太郎。
今の厨、工房にとってはたんなるおっさんにしか思えない彼は、
70ー80年代の関西ブルースブームにおいて重要な役割を果たした憂歌団というバンドのギタリストだった。
彼がチャキを手にいれた説も色々あり、憂歌団のボーカル木村が縁日で1万円で買ったとか、
心斎橋のhぃしhぁし楽器でこうたとか定かではない。
しかし、その事によってチャキ弦楽器は一躍有名になり、
80年代になると、その値段は10万台を超えるようになった。
今日では初期のチャキには過大なプレミアが付き、
オークションでは、憂歌団ヲタどもが割れ目先にと争って挿入している。
今まで僕のコレクションを見てきた方々なら、
僕もその憂歌団というバンドの1ファンだという事がお分かりいただけるだろう。
今まで何本かチャキを弾いてきたが、
その少ない経験のなかで言えることは
鳴らない!
の一言だ。
話によると内田のチャキはボデイの中にアンプが入ってるのではないかというくらいでかい音が鳴るらしいが、
非常に特殊なケースであろう。
所詮0フレットなどがついている、雑な造りのギターが言い訳がないのである。
しかし、それでもチャキに群がる人間が絶えないのはその情報の少なさと、
オヤジ特有の金さえありゃあなんとかなるという考えの人間がおおいからだと思われる。
僕は1年前チャキのギター工房へ見学しに逝ってきたが、
外に木はほってあるわ、若いにいちゃんばっかで造ってるわ、
2代目の茶木はどっか逝ってるわでお世辞にも良い環境とは言い難かった。
締めくくりとしてチャキに幻想を追い求め、いつまでも現実を見ないオッサンどもに僕はこういいたい。
チャキは鳴らん!、高い!、壊れやすい!
、、、、それでも買いたいなら僕はとめない。
そういう人達がいるから僕の商売は成り立つのさくちゅるうるううう、、、。