「冬の旅」の魅力に迫る       バスバリトン 長山宏

 
  1. 問題意識

 歌曲集「冬の旅」は、「これでもか、これでもか」と暗い曲が続いており、
シューベルト自らの初演の際も皆は暗い曲が理解できなかったが、シューベルトは
「この歌曲集の歌はすべて他のどの曲よりも気にいっている。今に君たちも気にいるようになるよ」と言った。

 演奏者も聴衆もこの曲の重厚な世界に疲れを感じ、心が開放されることがない。
しかし、なぜか心に残り、口ずさみたくなる。
その理由は何なのかを探るのがこの論文の目的であり、問題意識である。

  2. 背景 ― シューベルトの心情 ―

 30歳のシューベルトが「冬の旅」を作曲した時の心情を探るために、彼の年譜を追ってみよう。

 彼は15歳で母を亡くし、16歳のときに新しい母を迎えた。
学校の教師にしようとする父親の意図に反したために、数年にわたり貧乏に苦しむ。
20歳の頃から友人のショーバーの世話になったり、穴倉のような部屋を借りて住んだり、
その生活はとてもみじめなものであった。

 彼は安定した職業に就こうとしたがうまくゆかず、
飢えと寒さに震え、わずかな着物があるだけでベッドに寝ることさえできない日が多くあった。
彼の唯一の収入はほんのなにがしかの金額が楽譜出版社から入るだけであったが、
出版社からは搾取され、貧乏のどん底に追いやられていた。

 彼は友人の中でも孤独で、

「私は哀れな音楽家以上には成れないであろう。そして年老いてからゲーテの竪琴引きのようにさまよいパンを乞わねばならなくなるだろう。」

と自らの未来を予測していた。
 その頃同じ年頃のミューラーの詩に出会いすっかり感動し、「冬の旅」の詩に心から共感し、
自らの心情とダブらせて作曲に至るのである。

 26歳からの病気、貧乏、孤独、世間からの不理解、絶望が「冬の旅」の詩に自らの人生がオーバーラップし
重厚な世界がくり広げられるのである。

  3. 「冬の旅」でくり広げられるドラマ

 恋に破れ、あらゆる希望を失くした孤独な放浪者が冬の野、凍った川、北風にふるえる木の葉などを背景に、
道なき道をトボトボと死を求めて徘徊する。
その間の心理描写を白、黒、灰色と色彩の無い自然との対話形式でくり広げ、
孤独感、世間からの拒絶、絶望そして死へのあこがれから死を求めての旅に徘徊するのである。
そして死ぬ勇気を得て死に身を任せようとした最後の最後で辻音楽師に会う。

 この老人は誰からも注目されないのにただひたすらなりゆきに任せ、
手琴の把手を廻し続けて琴の音をやめる事はない。
放浪者はこの姿に自分の生きる道を見出すのである。
すなわち、

「誰からも注目されず聞いてもらえる事がなくとも自らの歌を歌い、その歌の調べに老人の手琴を奏でて貰おう」

というのである。

 これは絶望の縁で悟った生へのギリギリでの確信であり、
「無視される」という最低の状態でも自らの本質である歌をかなでるという自己表現をすることで
復活をとげて終わるのである。

  4. 「冬の旅」が我々の心をとらえる理由

 「山高ければ、谷深し」と言われる。

 山が高ければそれと調和するように谷は深い。季節感にしても冬が寒ければ夏は暑い。暑いだけあるいは寒いだけという事はない。

 同じように我々の心も楽あれば苦あり絶望をのりこえれば希望が開けるのである。
世の中の常として、すべてのもの事が対立関係にあり、その状態はゆらぎながら調和を求めて変化しているのである。

 「冬の旅」の世界では1.おやすみから23.幻の太陽まで、失恋、孤独、絶望、虚無感、幻想、死へのあこがれ、勇気と暗い心の描写が白、黒、灰色を思わせる冬の自然との対比で表現され、「これでもか、これでもか」と我々を暗い世界へと追い込んでゆく。

しかしそこには恨みのエネルギーは無く、純粋な透明感すら感じさせるメロディーにつつまれているのである。
しかし、最後の最後の1フレーズで復活をとげる。
すなわち、放浪者は人からは評価されずに無視されても自らの天分である歌をあわれな辻音楽師の手琴にあわせて演奏するのである。

ここで世界は一変する。
 「冬の旅」を聞いた者は「冬の旅」の世界で自らが浸っていた絶望の世界から
最後の1フレーズ後、自らの日常生活にもどる際に生への限りないエネルギーを得るのである。

 「冬の旅」の世界が深い絶望の表現であればある程、対立するエネルギーを得る。
それがこの曲の暗さゆえに心を捕らえて止まない理由なのではないだろうか。

                                                           
                                              2003年8月7日  ながやまひろし


ドルチェカント研究会

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