古 月 禅 師
宮崎県那珂郡佐土原町上田島に
建武二年(1335)、領主田島氏が檀那となり
岳翁長甫を開山に迎えて開創されたと伝えられている『大光禅寺』がある。
そこには「東の白隠、西の古月」と称えられ
藩主から庶民に至るまで慕われた古月禅師がいた。
「いろは口説き」は佐土原盆踊り唄として
今も古月禅師の教えが生きている。
い
幼なきをば愛して通せ
ろ
老は敬ひ無礼をするな
は
腹が立っても過言は言ふな
に
恵み受くるもわが心から
ほ
誉めて貰はば高慢するな
へ
隔なきをば遠慮におもへ
と
隣近所に不通をするな
ち
近きなかにも叉垣をせよ
り
理屈あるとも皆まで云ふな
ぬ
主によりては大事なことよ
る
流浪人をば憐み通せ
を
終り果てねば我身もしれぬ
わ
若き間はその道々へ
か
稼業大事と浮世を守れ
よ
善きも悪きも人事云ふな
た
例へ貴きも叉賤しきも
れ
礼儀正しく浮世を渡れ
そ
疎略者じゃといはれぬやうに
つ
常に身持も大事なことよ
ね
寝てもさめても只正直に
な
何がないとて世を恨みるな
ら
楽な身すぎは独もないぞ
む
報い報いに貧富はあるよ
う
恨みあふなよ此の世のことよ
ゐ
今の難儀を思はばなをよ
の
後の世も叉大事なことよ
お
親へ当て付け不孝をするな
く
国のおきては大事に守れ
や
役をするなら正路にさばけ
ま
眼かすめてどん欲するな
け
剣の地獄へ此の世でおつる
ふ
不実おちどの其の有るときは
こ
ここに日頃の怨みがござる
え
栄ようするみは苦を見るもとよ
て
手前善とて権威を出すな
あ
悪しきことなら必ずよけよ
さ
酒を喫ば内場にあがれ
き
聞いて嗜め浮世の事を
ゆ
油断するのは落度のもとよ
め
滅多無性にどん欲すれば
み
店をほろぼし人ほろぼすよ
し
知らぬ事なら大事と思へ
ゑ
ゑらべざりける諸芸の道を
ひ
日頃心を尽して習へ
も
文字書かねば愚鈍なものよ
せ
世間知らねばうきよも知れず
す
直にこころを用いて習へ
京
京も田舎もみなをしなべて上下万民心にかけよ
<古月禅師誕生の地>
1667年9月12日、日向那珂郡佐賀利邑に生まれる。
(現、宮崎県宮崎市佐土原町下田島)
左の林の所
古月禅師が修行した佐土原「松巌寺」
第四十二世の住職となった「大光禅寺」
<古月禅師分骨塔>
”死して巌根に在れば骨も亦た清し”
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