< 傘 松 道 詠 集 >

ー 道元禅師 ー


ながつきの 紅葉の上に 雪ふりぬ 見る人たれか ことの葉のなき

荒磯の なみもえよせぬ 高岩に かきもつくべき のりならばこそ

いひすてし そのことの葉の 外なれば 筆にもあとを とどめざりけり

波のひき かぜもつながぬ すてをぶね 月こそ夜半の さかりなりけれ

いつもただ 我ふるさとの 花なれば いろもかはらず 過しはるかな

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり

鴎とも 鴛ともいまだ みえわかず 立るなみまに うき沈むかな

水鳥の ゆくもかえるも あとたえて されども道は わすれざりけり

たづね入る みやまのおくの さとぞもと 我住みなれし みやこなりける

世の中に まことのひとや なかるらむ かぎりも見えぬ 大空のいろ

春風に ほころびにけり 桃の花 枝葉にのこる うたがひもなし

きくままに また心なき 身にしあれば おのれなりけり 軒の玉水

聲づから 耳にきこゆる ときしれば 我がともならん かたらひぞなき

世の中は まどよりいづる うしの尾の 引ぬにとまる 心ばかりぞ

本来も みないつわりの 九十九髪 おもひみだるる 夢をこそとけ

過来つる 四十あまりは 大空の うさぎからすの 道にぞありける

たれとても 日影の駒は 嫌はぬを のりのみちうる 人ぞすくなき

人しらず めでし心は 世の中の ただやまがつの 秋の夕暮れ

守るとも おもはずながら 小山田の いたづらならぬ かがしなりけり

いただきに 鵲の巣や つくるらん 眉にかかれる ささがに(蜘蛛)の糸

濁りなき 心の水に 澄む月は 波もくだけて 光とぞなる

この心 天津空にも はなそなふ 三世の仏に たてまつらばや

冬草も 見えぬ雪野の 白鷺は おのがすがたに 身をかくしけり

あらたふと 七のほとけの 古言を まなぶに六の 道を越えけり

うれしくも 釈迦のみのりに あふひぐさ かけても外の 道をふまめや

夜もすがら 終日になす のりのみち みなこの経の 声と心と

谷の響き 嶺に鳴くましら たえだえに ただこの経を とくとこそきけ

この経の 心を得れば 世の中の うりかふ声も のりをとくなり

峰の色 谷の響きも みなながら 我釈迦牟尼の 声と姿と

四つのうま 三つのくるまに 乗らぬ人 まことの道を いかでしらまし

とどまらぬ 日影の駒の 行すえに のりの道うる 人ぞすくなき

さなへとる 夏の初めの 庵には 廣瀬龍田の まつりをぞする

草のいほに 立ちても居ても 祈ること 我よりさきに ひとをわたさむ

おろかなる 心ひとつの 行末を 六の道とや 人のふむらん

草のいほに 寝てもさめても 申すこと 南無釈迦牟尼佛 あわれみたまへ

山深み 峰にも尾にも 声たてて 今日も暮れぬと ひぐらしの鳴く

我庵は 越の白山 冬ごもり 凍も雪も くもかかりけり

都には 紅葉しぬらん 奥山は 夕べも今朝も 霰降りけり

夏冬の さかひもわかぬ 越の山 降る白雪も なる雷も

あづさ弓 春の嵐に さきぬらん 峰にも尾にも 花にほいけり

あしびきの 山鳥の尾の 長き夜の やみぢへだてて くらしけるかな

頼みこし 昔あるじや ゆうだすき あはれをかけよ 麻のそでにも

あづさ弓 はるくれはつる 今日の日を ひきとどめつつ をしみもやらぬ

いたづらに 過す月日は おほけれど 道をもとむる 時ぞすくなき

草の庵 夏のはじめの 衣替え すすきすだれの かかるばかりぞ

心とて 人に見すべき 色ぞなき ただ露霜の むすぶのみにて

いかなるか 仏といひて 人とはば かひ屋がもとに つららいにけり

心なき 草木も秋は しぼむなり 目に見たる人 愁ひざらめや

をやみなく 雪は降りけり たにの戸に 春来にけりと 鶯の鳴く

六の道 をちこちまよふ ともがらは 我父ぞかし 我母ぞかし

賤の男の かきねに春の たちしより 古野に生ふる 若菜をぞつむ

大空に 心の月を ながむるも 闇に迷いて 色にめでけり

春風に 我ことの葉の 散りけるを 花の歌とや 人のみるらん

愚なる 我はほとけに ならずとも 衆生をわたす 僧の身ならん

山の端の ほのめくよひの 月影に 光も薄く 飛ぶ蛍かな

花紅葉 冬の白雪 見しことも おもへば悔し 色にめでけり

草の葉に 首途せる身の 木の目やま くもに路ある ここちこそすれ

朝日待つ 草葉の露の ほどなきに いそぎなたちそ 野辺の秋風

世の中は 何にたとへん 水鳥の 嘴ふる露に 宿る月影

また見んと おもひし時の あきだにも 今宵の月に ねられやはする





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