2001年10月23日 CD雑感のうち「《四季》おりおり」と「RPO二題」とを手直ししました。 前者は文章表現、後者はページ構成そのものを見直しました。 せめてうわべだけでもきれいに整えたいとおもいつつ、つつ。
ところで、このところmusic.netのメールが受信オンリーという状態が続いております。 送信はnifty経由でやるのですが、どうにもレスポンスが・・・。 このままではまた、新しいアドレスの取得を考えなければならないのですが、nifty→AB型→music.netと三度の引越しをした身としてはこれ以上はちょっと抵抗を感じます。 かといってADSLのオマケアドレスを使う気にもなかなかなりません。 秋は物思いにふける季節のようです。
2001年10月18日 CD雑感に「《四季》おりおり」と題して、手持ちのビバルディ・《四季》の整理をしました。 今月7日のイ・ムジチの演奏会から帰ってから始めた作業が、こんな形になりました。 なんとはなしにたまってしまった同曲異演を、たまにはこうやって集中的に聴いてみるのも悪くありません。 手元のCDに偏りがあることは重々承知しつつ・・・です。 なお、このページから別ウインドで開くようにしてみました。 理由は・・・当然、タグを覚えたからです。
2001年10月11日 表紙とその他もろもろのページデザインを若干修正しました。 微調整そのものです。
8月に勢いだけで作ってしまったmicroATX機にWin2000を入れました。 本当はXpのOR1を入れるつもりだったのですが、諸事情により断念。 しかたがないので(?)Win2000を純粋日本語環境で入れました。 安定性が確認できたら論文書き専用機にするつもりです。 もっとも、私の場合は軽めのエディターで文章を書くことが多いので、文章専用機としては、実験機のPentium120&Win95というスペックでも大丈夫な感じがしますが、私自身の製造メーカーに対する信頼感が希薄なため、いささか躊躇しています。 ところで、この現在、Win95から2000まで、私のPCラックに設置されたPCは全て異なったWindowsということになっております。 所詮はMicrosoftのクビキから逃れられない悲しさを実感します。 MSX−Basicから数えて20年に近い付き合いになりますが、どうにも困ったものです。
2001年10月7日 今日はHTMLファイルでのスタイルシートの定義というものを試してみました。 本来の目的は、お手伝いしている某所のHPのテーブル内の文字を均等割付する為だったのですが、こちらは上手く行きませんでした。 その代わり、副産物としてこの《つれづれ》の行間の調整に成功しました。 従来は行間が詰まっており、いかにも読みにくいもので、気にはなっていたのですが、中身が中身なのでほったらかしにしていました。 これで少しは読みやすくなったと思うのですが・・・。 またこの関係で、このページ内のレイアウトを一部変更しました。
本来このHPとは無関係な話なので恐縮ですが、今日はイ・ムジチのツアー初日に行ってきました。 イ・ムジチをナマで聞くのは初めてなので、期待していったのですが、う〜む・・・。 カルミレッリやアーヨのCDで聞いた印象とはあまりにも違うのでびっくりしました。 演目はアイネ・クライネと四季という音楽教室みたいなもので(加えてアンコールがボッケリーニのメヌエットと所謂G線上のアリア)、充分掌中のモノになっていそうなものですが、どうにも・・・。 帰宅後、手元にある四季を7種類ほど聞きまくりましたが、どうやら、イ・ムジチにも近年のいささか乱暴な古楽演奏の悪い影響があるのでしょうか? ビオンディ位までは私でもそれなりに聞けるのですが・・・。 ちなみにお気に入りはドロットニングホルム・アンサンブル盤(BIS)とレーデル/ミュンヘン・プロ・アルテ盤(ERATO)です。 後者は一種の冗談みたいなものですが、前者はあまり話題に上がらないのが不思議なくらいの仕上がりです。 知性と品性と挑戦、この三者が素晴らしいバランスで共存、極上の音楽を再現し、全く聞き飽きることがありません。 こういう演奏だと四季あたりも馬鹿にできません。
2001年9月28日 昨日購入したケースでK6-2機の蘇生を試みました。 マイクロタワーサイズの中にATXとmicroATXがどちらでも積めると言う、(私にとって)夢のようなケースだったのですが・・・ねじ穴が合わない! どうやらmicroATXが基準のようで、ATXだと5mm程ケース正面がわにマザーがずれてしまいます。 その結果、コンデンサがCD−ROMと干渉すると言う、よくあるパターンにはまってしまいました。 試行錯誤の結果、ねじ穴を切りなおして、マザーボード・CD−ROMともに少しずつ譲りあってもらい、さらにブラケットも足を切断して無理やり全ての備品を詰め込みました。 さてこれで無事起動、昨日と同様RealPlayer版の《るろうに○心》を流してみましたが、特に問題なし。 一安心して電源を切ろうとすると・・・昨日と同じ現象が。 これはOS(簡体字中文版のMe)を入れなおすしかないようです。 取り合えず、ケースが体積比で30パーセント以上小さくなり、書棚が2段も開放されたので良しとします。 あれ?先日作成した小型機の立場は???
2001年9月27日 昨日購入した電源でK6-2機の蘇生を試みました。 実のところ結構怪しい電源で、ATXに必要なコネクタが全て整っていたので、大丈夫かな?と、¥680という無茶なものを買い求めたのでした。 いざ取り付けてみると・・・ありゃりゃ、なんじゃこりゃ?的な、見たこともない8ピンのコネクタが余ってしまいました。 あまり気にせずに起動してみると、ばっちりです。 2時間近くRealPlayer版の《るろうに○心》を流しつづけてみましたが、問題もなく、これで終了・・・のはずが、電源が切れません。 Win系のOSを5〜6年使っていますが、初めて見るオレンジ色の保護規制エラー画面。 なんだコリャ? BIOSかOSの方で電源の管理を完全手動にすれば何とかなるような気もするのですが、これを機会に、昨日目をつけておいて新しいケースを購入することにしました。 なにせ、まともな新品の電源買うと、却ってケースより高くなりますから。 K6-2載せるのにPen4対応なんてもったいないですしね。 ということで、出校後、東京ドームへの道すがら再び秋葉原へ。 TSUKUMOにて¥2,980という格安ケースを購入しました。 このケースの魅力は価格ではなく、マイクロタワーなのにフルのATXマザーが載るということです。 もちろんそれなりの制約もありますが、サブ機にはちょうど良い筐体です。 究めつけは幅が179mmということ。 180mmを超えると私のラックに収納できないので、これが大事です。
なんとも壮絶な追い上げ劇(それでもヤクルトのマジックはこれで4)に最後まで付き合った体で、えっちらおっちらPCケースを抱えて帰った身では組み立ての元気も時間もなく、お楽しみは明日に持ち越しです。
2001年9月26日 逝ってしまった−かもしれない−K6-2機を蘇生させるべく、電源を買いに秋葉原まで出向きました。 スペックが中途半端なのでバルクみたいな250Wを購入。 明日、時間があれば組みなおしてみます。 ついでに寄った石丸電気でDELIUSの新譜を発見。 DELIUSとデンマークとのかかわりに焦点を当てた一枚。 特にAn
Arabesqueは録音も少なく、これ一曲でも充分に嬉しい一枚。 今聞いている最中ですが、丁寧に聞くのは明後日以降になるでしょう。 いまのところ、かなりいい感じです。 ついでにもう一枚。 こっちは随分旧譜です。 BoultのElgar交響曲第2番の1956年Pye録音を1985年にPVCがCD化したものです。 16年も在庫しつづける石丸電気って・・・。 ともあれ、ヤクルトのマジックもようやく6。 ドームまで広島カープを応援しに行った甲斐がありました。 今日はなかなか好い一日でした。
B.Holten/Aarhus so. : danacord DACOCD536 | A.Boult/LPO : PRT PVCD8382 |
2001年9月24日 昨日我が家に新しいPCがやってきました。 新しい・・・といっても、スペックは全く新しくない、というか随分古めかしい代物です。 某所で不要になったFM-V
DESKPOWER-SEを引き取らせていただいたものです。 CPUはPentium120、HDDは1+2GB、RAMはSIMMで128MBというスペックです。 RAMは充分なので、あとはこの非力なCPUを乗せ換えれば・・・と思い、用意していたWinChipのC6-200はあえなく認識不可でした。 MBの製造時期によっては認識できないとの話をどこかで聞いたのですが、まさか自分があたるとは・・・。 しかしこのままでは、さすがにWin98を入れるのは可哀想な感じです。 さてどうしましょうか。
ついでに、サブで使っていたK6-2機が死んでいることが判明。 おそらく電源が逝ってしまっているのだと思いますが、ウンともスンとも言いません。 ヤクルトは3連敗するし、どうもついていません。
2001年9月21日 DELIUSの管弦楽作品のCDリストの修正が終わりました。 べたべたついていた、正体不明のタグをとりまくり、最初にUPした時に比べると、ファイルは1/10くらいになったはずです。 一段落ですが、次は歌劇等の再リスト化作業が待っています。 こちらはもう少ししてから取り掛かりたいと思います。
2001年9月17日 HPの半分ほどに壁紙を設定してみました。 もともと画像が多いので少しでも軽く・・・と考えていたため、壁紙を使う予定はなかったのですが、ゼミのHPで試験的に導入してみたところ、あきれるくらい軽いファイルで実現できることに気づき、気分転換も兼ねて。 昨日のプロムス・ショックにためか、はたまたやらなくてはならないことが山積みのためか、空回りの多い一日でした。 部屋の模様替えと違って、HPの模様替えなら気楽にできて、それなりに気分転換になります。 (私にしては)珍しくChaussonとD'lndyの弦楽四重奏曲なんぞ聴きながら(CHILINGRIAN
QUARTET : hyperion CDA67097)。
2001年9月16日 昨夜、というより本日未明のプロムス・ラーストナイト、録画に失敗していました。 理由は単純。 日付を15日で設定していたためでした。 あまりにも初歩的なミスですが、滅多に予約録画なんてしませんから、初歩的なミスが起きるのでしょう。 もう今後二度とこの手のミスはしないだろうな〜と思うほど、ショックではありました。 ほぼ1年後に再放送・・・されるのを待ちます。
2001年9月15日 CDリストに一点追加しました。 NAXOSが発売した2枚目のDELIUSにあたります。 もう7年も前の発売になるものですが、ようやく本日入手したためです。 NAXOSはいつでもあると思うと、ついつい後回しになり、いざとなるとなかなか探しにくいものです。 とくに現在の発売点数のなかから目的のものを探し出すのは一苦労です。 ところでこのCD、かのDel
Marと競演したBournemouth Sinfoniettaの演奏です。 オケの編成の少なさからか、併収のBrittenあたりでは、若干アンサンブルの乱れが気にならないでもありませんが、わりと線のハッキリした演奏を聴かせてくれます。 雰囲気のみに頼らない演奏姿勢には好感がもてました。
ところで、今夜というか明日の未明はプロムス2001・ラーストナイトの放送が! 実のところアメリカのテロ事件以来、少々不謹慎な心配をしておりました。 今年からタクトを取るのは、ワシントン・ナショナル響から転出してきたL.Slatkinのはず。 ということは・・・、さすがに騒げないでしょ、あの後では。 それはもうしかたのないことですよね。 さてどうなることやら・・・と思っていたところ、やっぱりプログラムはかなり変更されていました。 BBCのサイトで見る限りではPomp
and Circumstanceまで削られているようですが、これはスペースの関係かな?(ちなみにNHKのサイトではようやく今日、変更が反映されました) それまではSuzaのマーチなどと言うとんでもない曲目まで入れて、ラーストナイトにアメリカ色を大胆に持ち込もうという、意欲的な、勘弁して欲しいプログラムでしたが・・・。 そのあたりはかなり入れ替えられて、これも予想通りですが、Barberのアダージョが入ってきたり、よくわからないのはBeethovenのChoralが入ったり・・・。 さてどうなるか、楽しみです。
蛇足ですが、前回更新時に日付を一部誤記していました(9.6→9.9)。 夏バテでしょうか?
2001年9月6日 CD雑感にRPO二題としてRPOのDELIUSとBeechamの指揮盤を紹介しました。 「クラシックの招き猫」の中の掲示板でロイヤルフィルハーモニック・コレクションが話題に上がっていたので、このあたりに触発されました。
実は一週間ほど前に40GにHDDを購入、我が家のPC内でHDDの入れ替え作業が始まりました。 心太のように次から次へとHDDが入れ替わってゆくのですが、少々忙しかったせいもあり、ようやく昨日入れ替え作業が終了しました。 特にVAIOでの録画時間が延びたのが大きな収穫なのですが、副産物としてHDDのシークタイムが早くなったため、VAIO自身の動きがきびきびしました。 Celeron466の実力がいまさら、ようやく発揮されています。
2001年8月27日 CD雑感にプロムスのラースト・ナイトを追加。 もちろん、昨日未明に某国営放送のBS−2で放映されたプロムス2000に触発されてです。 私にとっての目玉はもちろんDELIUSで《The
Walr to the Paradise Garden》だったのですが、Andrew
DavisがBBC響の常任としては最後のプロムスになるとのことで、相当な盛り上がりを見せており、実に感慨深い《お祭り》でした。 正直なところAndrew
DavisがBBC響のシェフになったときは、かなり違和感があったのですが、この11年、立派に「イギリスの指揮者」を勤め上げました。録音面でも、TELDECなどというまったく「イギリス音楽」と縁の無かったレーベルに《The
British Line》と銘打ったシリーズを録音し、DELIUSでもよい仕事を残してくれました(TELDEC 4509-90845-2)。 件のCDのなかでは《In
a Summer Garden》が見通しのよい演奏で、印象に残っているのですが、Andrew
Davisのお気に入りは《The Walr to the Paradise
Garden》のようで、ラースト・ナイトで取り上げるのも初めてではないはずです。 ともあれ、彼のエンタテナー振りは実に堂に入っており、後任のSlatkinが少々気の毒な感じがします。
目下のところの課題は、この延々3時間以上にわたるお祭り騒ぎのエア・チェックをどう分割してVCDにするかです。 ちょっとDVD+RWあたりが欲しくなるところです。
2001年8月24日 今日はなぜか《Beers in CHINA 2000》の方に繋がりません。 フリースペースを提供しているirukaweb.comにも繋がらないので、何らかのサーバー障害なのでしょう。 フリースペースを使っている宿命なのか、MusicNetも時々とんでもなく遅くなります。 バイダにちゃんとスペースがあるのですが、なんとなく移行する気になりません。
ところで、先日購入した水越健一著『エドワード・エルガー 希望と栄光の国』(武田書店 2001年6月 [ISBN4-88689-016-4
] ¥2,000−)にElgarとDELIUSとの交流についてちょっとだけ触れられていました。 晩年のElgarはフランスまでDELIUSを訪ねていったそうです(1933年)。 K.Russelの《SONG
OF SUMMER》の中で、DELIUSが「エルガーはオラトリオで人生を無駄にした」と言うシーンがありましたが、このシーン自体は1933年以前のシーンですから、それ以前から両者はそれなりに交流があったんでしょうね。 件の書の中では、マーチの作曲家として認識されることにたいする苦悩や、またUKという「国家」と王朝へのシニカルな感情など、Elgarの素顔をいろいろと考えさせられる記述も多く、興味深く読めました。 作曲家として位人臣を極めたElgarは、不遇ながらも真の理解者に囲まれて悠悠自適なDELIUSが羨ましかったのかもしれません。 もちろんこれをもってElgarを「曲楽阿世」と批判することはできませんが、自由と良心と生活と社会とを、一つの人格の上で統合するための労苦は、今も昔も変わらないようです。 ともあれ、両者ともに理解のある伴侶を得たことが、最大の支えだったのではないでしょうか?と、思わしめる日です。今日は。