特別日記〜「就職について思うこと」
2004年7月12日

 先日、後輩のI・Yとメシを食べた。メシと言っても,ビアガーデンに行ったのだが。
 さて、I・Yは、去年、公務員試験に合格し、今年の4月から晴れて公務員として勤務している。一人前に名刺の肩書きには「主事」とついている。
 I・Yは、若干、毎日のルーティーンに思うところもないでもないようだが、彼は彼なりに充実した毎日を送っているようだった。
 充実していないのは彼の同僚達のようだった。

 「仕事がつまらない。もっとやりがいのあることがしたい。」

 実は、仕事がつまらない、というのは公務員に限らず、新入社員がぶち当たる最初の壁であるのだ。もちろん、キツイがゆえにつまらない、辞めたい、というのもあると思うが。
 I・Yはかねてから「仕事なんてつまらないもの。仕事にやりがいだとか、生き甲斐なんて求めるほうがおかしい。」と僕も含め,同僚達を一蹴する。
 僕は、そういったI・Yの話に賛同できる部分もあるが、若干の違和感を覚えないでもない。仕事勘に関してはこれまで多くの先人が語っているところなので、ここでは僕が言うことはない。そこで、僕は僕なりのある一つの切り口から、もう一度、「会社勤め、仕事をするということ。」について考えてみたい。

 「面接はお見合いみたいなもの。」

 これはよく言われることである。縁があるかないか、であって、けっしてその人個人の人格だとかが判定されるものではない、という趣旨を含んでいる。

 そこで僕は考えた。面接が「お見合い」であるならば、会社勤めは「結婚生活」そのものにあたるのではないだろうか?と。
 I・Yの勤務状態、公務員勤めの感想をもとに、これを「結婚生活」に置きかえて考えてみよう。


 「どうよ、結婚生活は?楽しいか?」

 「いやー、別に楽しいこともありませんよ。確かに好きで嫁さんと結婚しましたが、特に僕は嫁さんに期待しているわけでもないですし。別に嫁さんから何かを得たいというわけでないから、ともに成長したい、なんて願望もないですし。」

 「あそー。ま、それもそうだな。でもそれじゃ淋しくない?」

 「全然。どちらかというと距離を置きたいですね。一人でぼーっとしたり、本を読んだりする時間が多いです。嫁さんも案外一人でいる時間を楽しめる人だから大丈夫です。」

 「ふーん。でも休みの日は、どこかに連れて行ってくれとか言われない?」

 「言われたら、行きますよ。断ると文句いわれますからね。連れて行ってくれと言われればいくらでもやるんですよ。ただ自分から進んで、どこかに遊びに行こうとは言いませんよ。だって面倒だもん。できればしたくなーい。」

 「なんか、ほんと一緒の家に暮らしてるだけ、って感じがするねー。」

 「結婚なんてそんなもんですよ。結婚すれば幸せになれるとか、なにか得られると思う方がどうかしてるんですよ。」

 「同期で結婚しているやつは、結婚生活についてなんて言ってる?」

 「なーんか、愚痴ばっかりです。なんでこいつと結婚したんだろう、こいつと結婚してよかったんだろうか、とか。他には、もっとお互いを高められるような結婚をしたかった、なのに嫁は家事を手伝えだの、子育てを手伝えだの、俺は疲れてるのに全然気持をわかってくれない。たまに会話をすればスーパーでどこが安いのか、とかローンの話とか、ワイドショーネタとか。すごくつまらない。もっと知性があって話題の豊富な女と結婚すればよかったよー、とか言ってます。ほんとウンザリです。」

 「そー、なんだー。なんでそんな人と結婚したんだろうね。」

 「なんか物静かで従順そうな女だから結婚向きだと思ったんじゃないでしょうかねー。こいつなら家庭を守ってくれる、だとか。でもいざ結婚してみると、結婚生活といっても日常生活の積み重ねだから、つまんないに決まってるんですよー。で、つまらないが頂点に達すると、他の女に手を出したり、キャバクラのおねーちゃんに大枚を注ぎ込んだりするんですよ。」

 「そっかー。なんかお互いにとって不幸な話だよねー・・・。」

 「そうですね。物静かで従順で、家庭を守ってくれるだけで十分じゃないですか。結婚生活以外の生活で楽しんだらいいんですよー。」


 とまぁ、ざっとこんなところであろうか。
 I・Yの同期や僕にも共通することは

 「単調でつまらないことは嫌。」
 「なんか知らんけど、やたら成長願望がある。」

 というところか。


 仕事が単調、というのに我慢できない人は多い。
 「フリーターやって、いつかやりたいことを見つける。」と豪語する高校生が就職担当の先生に、ある工場につれていかれる、というのをテレビで見たときのこと。その工場での仕事はプレス機で金属を延々とプレスしつづけるというものだった。いくら今、成長してる工場であっても、一生、プレス機の前に立って、金属をプレスするっていう仕事は、僕は嫌だなー、と思った。その高校生だって、きっとこんな仕事なら一生フリーターの方がいいと思ったに違いない。少なくとも「その時」は。
しかし、多くの仕事は決まりきったことの繰り返しだったりする。僕の友人は営業だが、営業といっても、飛び込みの営業ではなく、得意先の決まっている、いわゆるルート営業という営業だ。結局、決まりきったことの繰り返しで、ルーティーンなのだ。
 その友人はこう言う。
 「仕事から出てくるものは、愚痴と笑いだけだよ。」と。
 京大の院を出て、N○Tに入社した友人もそんなカンジだ。

 はっきり言って、どんな企業、勤め先でも、最初にやらされるのは決まりきったルーティーンなのだ。もちろん、それが一生続くのかもしれないし、それをうまくこなした人間だけに、いよいよ面白い仕事がまわってくるのかもしれない。でも、それは誰にもわからないことだ。
 とにかく、どんな一流企業であろうが、○通だろうがSO○Yだろうが、最初はつまらないルーティーンからスタートする(らしい)。他には単にキツくて辞めたくなる仕事があるだけだ。劇的に面白くて、やり甲斐のある仕事なんてそうそうない。また、やり甲斐なんて相対的なもので、ある仕事に、人それぞれが、それぞれのやり甲斐や面白さを見つけていかないと行き止まりしかないように思われる。
 だから、先のI・Yの同期や僕にも言えることだが、自分を救う方法としては、

 「つまらない仕事にも面白さをみつける努力をする。」
 「ルーティーンをこなすことでも自分を成長させることができないのかを考える。」

 と言ったところだろうか。自分で書いてて、奇麗事に思えてくるあたり、かなり難しいことであろうな、と思う


 大学3回生の時、僕はある非営利団体にインターンシップに行った。そこには、怖いT部長がいた。一番怖かったが、そのT部長の話が一番勉強になった。その部長が「こいつは仕事ができるぞ。こいつを観察しておけ!」と僕にオススメしてきたのは、某役所から出向していたK課長であった。K課長は早稲田大学卒でもともとキャリア組でデキル人だったんだろうとは思うが、見た目も(!?)、性格もどことなくユーモラスで、親しみの持てる感じの良い人であった。
 そのK課長が、あるとき僕にこう言った。

 「不平不満を言うよりも、明るい光をともしましょう。」

 仕事に限らず、ありとあらゆることに不平不満、愚痴が生まれることだろう。僕もルーティーンをするなり、キツイ仕事を任されたりで、きっと不平不満の一つや二つどころか100連発くらいするであろう。そして、もっと面白くて、やりがいのある仕事をしたいと思うことだろう。でも、その前に今、目の前にあることに明るい光をともさないかぎり、「これから」は開いていかないものなのだろうな、と6年いた下宿を引き払うため整理していて、たまたま見つけた、4年前にK課長の言葉を記したノートを見ながら思うのであった。

 おしまい


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