1997年にバーニー・マースデンによって「The Snakes」結成。メンバーは他にミッキー・ムーディー、ジョシュ・フィリップス、デイヴィッド・レヴィー、マーク・ブルゼズィック。イギリスとドイツでツアーを行ったりして、地味に活動を続ける。
1990年にバーニーがノルウェイのバンド「Blonde On
Blonde's」のアルバムのプロデュースをすることになったのがきっかけで、ドラムのウィリー・ベンディクセン、ベースのシド・リングズビーはその後もバーニーと「The Bernie Marsden Band」というトリオ・バンドで活動することになる。そしてこの間にバーニーは、「デイヴィッド・カヴァーデイルのように歌えるシンガーがいるよ」とウィリーに言われて渡された、ヨルン・ランデが歌う"Ready And Willing"を聴くことになる。ヨルンのボーカルに強く揺さぶられたバーニーはミッキーを誘い、ヨルンのいるオスロへ。1997年にはバーニー、ミッキー、ウィリー、シド、ヨルンに加えて、レインボーやオジー・オズボーンとの活動で知られるドン・エイリーというラインアップで「A Night Of Whitesnake Music」として、主にノルウェイで活動を行う。
ノルウェイ出身の元TNTのギタリストであり、プロデューサーのロニー・レ・テクロは、このバンドのことを知り、アルバムのプロデュースを申し出る。日本のレコード会社であるポニー・キャニオンがバンドに興味を持ち、ライブ・アルバムのリリースを含むオリジナル・アルバムのディールを獲得。1997年の暮に、ロニーと共にレコーディングを無事終了させ、アルバム「Once Bitten」がリリース。バンド名もそれに伴い「The Snakes」と変更。1998年の前半はイギリス、ノルウェイ、ヨーロッパの各地でツアーを行う。バンドがツアーに専念している間に、バンドは最初の問題にぶつかる。プロモーターからは単にホワイトスネイクバンドだとみなされ発表されており、デイヴィッド・カヴァーデイルを期待する古くからのファンからは否定的な反応を受ける。
1998年前半に「Live In Europe」をリリース。しかしバンド内でバンドの方向性に対する意見の相違から、イギリス側とノルウェイ側に分裂、1998年後半にはヨルン、ウィリー、シドがバンドを離れる。ウィリーがバンド名使用の権利を獲得、バーニー、ミッキー、ドンは他のバンド名での活動を余儀なくされる。
ホワイトスネイクのオリジナル・メンバーであるニール・マーレイがバンドに加入、バーニー、ミッキー、ニール、ドンに加えて、元バッド・カンパニーのロバート・ハートをボーカリストに、ドラムにジョン・リングウッドを迎え、バンド名を「The Company Of Snakes」と改名。1999年に行われたイギリスとスカンジナビアでのツアーも大成功に終わる。
2000年6月、作曲に専念することを決定し、ロバート・ハートはバンドから脱退。ツアーはゲイリー・バーデンによって続行される。
2000年10月、スウェーデンのシンガー、ステファン・バーグレンを正式メンバーとして迎える。
2001年1月「The Company Of Snakes」としては待望のファースト・アルバムである「Here They Go Again-Live」が、ドイツのSPV/STEAMHAMMERレーベルよりリリース。
2001年6月、ドン・エイリーは様々なプロジェクトのため、バンド活動に困難をきたし、脱退。
掲載されているすべてのコンテンツ、画像等を承諾なしに無断転載することを禁じます。
またこのサイトに関する御意見等はこちらへお願いします。
|