CMA誕生直後〜初期の活動
(寄稿:尾上 寧先輩)



現役の皆さん。行事週間の演奏お浮かれ様でした。
午前・午後と聞かせていただいて、どちらもなかなかの熱演だと思いました。
メンバーが少なくて大変だと思いますが、これからも頑張ってください。

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以下は先日の川上OB会長の話に触発されて想い出話を・・・

私が入部した時期のCMAは、楽器の経験者は軽音研に行くのが普通だったのが 先輩の代に1名私の代で4名の経験者が入部しやっと一応ずぶの素人ばかりでは 無くなった時期でした。
但し他の人も管打楽器は素人でも、ピアノはすらすら弾けたり、クラッシックのレコードを聞き倒している人も多く、その楽器で表現手段を取得する1年程の期間が過ぎると(当時の)第4学区でも(地区音や中音で他の学校と一緒に練習しても)CMAのメンバーは上手いと言われる奏者になっていた気がします。

で、これなら演奏会が出来るのではと1から手探りで演奏会開催をもくろみ、私が入部して丸1年たった春にCMAの第1回定期演奏会が開催されました。

ちなみにそのときのメンバーは新3年生が12人、我々の代の新2年生が19人の合わせて31人で(OBが数名入っていたかも)で、パートはかなり変則でFl4, Cl7, Sax3(AAT), Tp5, Hr3, Tb3, Eu1, Tuba2, Perc3位だったはずです。
当時は名実共に古典音楽研究会だったのでスッペの軽騎兵序曲、ホルストの第1組曲、ドボルザークのスラブ舞曲第7番、シベリウスのフィンランディア(あとはルロイ・アンダーソンから数曲)あたりをやったように記憶しています。
で、このときはダブルリード・木管低音(BsClやBSax)は全くいませんでしたので(^^;)いきおいTubaとEuphでオケのチェロとコントラバスとファゴットその他のパートを全て割り振るというかなりハードな編曲をして演奏していました(^^;)。
(ちなみにこのときはアンコールの1曲のみクラッシックでないニューサウンズの「ブラジル」をやって、CMAがクラッシック以外をやったと言って他のクラブの人たちから驚かれました(^^;)<そういう時代もあったと言うことで・・・)

ちなみにその翌年は新入団員が19名(うち経験者6名)を迎えました。
この時点ではパート自体は変化がありません。・・・が第1回の成功に気をよくして「序曲特集」などという無謀な選曲をCMAに合わせて編曲し演奏会を成功させてしまいました。
(エリクソンの序曲祝典、スッペの詩人と農夫序曲、ワーグナーのマイスタージンガー前奏曲、カレリア組曲(間奏曲&行進曲)?、ムソルグスキーの展覧会よりバーバヤーガ&キエフの大門??)

新入団員が5名という問題は対策が必要ですが、それはそれとして人数が少ないこと自体は自分たちの工夫で乗り越えられるし、またそれ自体が後に楽しかったと(少なくとも私は)思える物です。これからも吹奏楽部での数年の活動を実り多い物として活動されることをお祈り申し上げます。

長文多謝m(__)m



※以上の文は、尾上氏が掲示板に書き込まれた物をそのまま掲載しております。

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