ヴィラ=ロボスの出版譜と手稿譜に関して − その2 (2006/02/13)

ヴィラ=ロボスの出版譜と手稿譜に関して − その2 (2006/02/13)

さて、12の練習曲にまつわる、謎についてですが、このことに関する、フェルナンデス(とバルエコ)のインタビュー記事を紹介します。

このインタビューは、マヌエル・バルエコのホームページの中で掲載されており、その抄訳を下記に掲載します。
私の貧弱な英語力の範囲の訳なので、訳りや不正確な箇所があると思います。正確な情報は、原文を参照してください。

記事のタイトルは、Barrueco and Fernandez On Turning 50... 「50歳の曲がり角に来たバルエコとフェルナンデス」といった所でしょうか。このインタビュー記事の中の終わりの方の会話です。

  出典URL: http://www.barrueco.com/interviews.shtml#TOC21


AS: Aaron Shearer(インタビュアー。 有名なギター教師で、何冊もの教則本を出版している模様です)
EF: フェルナンデス
MB: バルエコ


(前略)

AS: あなたがが後半に手稿譜で演奏したヴィラ=ロボスの練習曲について、もっとよく知りたいです。なぜ、手稿譜で演奏するのでしょうか?

EF: 手稿譜の方が、本来のアイデアにより忠実だと思うからです

MB: なぜでしょう?

EF: ヴィラ=ロボス記念館に存在する手稿譜は、ヴィラ=ロボスによって多くの運指が付けられているけど、出版譜ではなくなっています。 セゴビアは、出版譜の表紙に、ヴィラ=ロボスの書いた運指に触れていて、こう書いています。たとえ運指が心地よくないと思ったとしても、運指を変えようとは思わなかった.. 「それが作曲家が望んでいることで、彼はギターを大変よくしっているからね」。そして出版譜には運指がなかったということは、セゴビアは何か別のものを参照したということで、私はそれが、手稿譜であると思っています。

MB: しかし、ヴィラ=ロボスは、彼の音楽を変更することをセゴビアに許すようなタイプの作曲家だと思いますか? なぜなら、私はそのようには感じないからです。

EF: 私はそうは思いません。 ヴィラ=ロボスは、彼の音楽に厳格で、自分でコントロールしたいと思っていました。でも、練習曲が書かれたのは、1928年で、それが出版されたのが、1953年ですよね。これは長い時間です。この間には戦争があり、彼らはめったに会わなかった。全て手紙でやりとりしなければならず、何らかの考え違いがあったと確信しています。

MB: ヴィラ=ロボスはセゴビアの承認を待ってたと思いますか?

EF: もちらん、それはないです。でも、おそらくセゴビアだけがこれらの練習曲の演奏を望んでいるギタリストだったと考えれば、彼は特別な場所にいたことになります。それで、私は、ヴィラ=ロボスがセゴビアの意見に縛られたくないと考えたとは思いません。このことに関する、ヴィラ=ロボスからセゴビアへ、または、Max Eschig社へのの手紙を見たいですが、それらは出版されていないし、見ることはできません。

MB: 私の記憶が正しければ、セゴビアからポンセへの手紙で、基本的には、この練習曲を信頼しておらず、これらの中の2〜3曲が演奏する価値があるということを読んだ記憶があります。

EF: そう、彼は、ヴィラ=ロボスが試みようろしたことを理解できなかった。ヴィラ=ロボスは50年も進んでいたから、驚くことではないけどね。でも、1928年の版は、出版されたものより、いろいろな意味で、もっと現代的だったと思う。そして、より音楽的だと思う。

AS: それはどうしてでしょう?

EF: なぜなら、よりアイデアに忠実だからです。練習曲1番を例にすると、(手稿譜では)繰り返しはなく、音楽的により正しいです。練習曲2番でも、ぎこちないエンディングをもたらす繰り返しはありません。次の小節に進むことは正しいけどで、繰り返しを行うと、論理的でなくなります。練習曲10番では出版譜では省略された部分がありますが、その部分はすばらしいと思います。省略は非常にまずいやり方で行われました。2回目のAセクションの終わりで発生したトランジションを残しておくべきなのに、最初のセクションからBセクションにトランジションが使われています。そしてそれが、次の5拍子のセクションにつながっている。これは意味をなさない。決められた場所までグリッサンドを使って、そして5拍子のセクションに進むべきだが、(出版譜は)意味をなしていない。しかし、手稿譜はずっと意味をなしています。

MB: グリッサンドの後はどうなっているのですか?

EF: 未出版の35小節はすばらしいものです。これは、完全に、 先住民族の音楽(原文:Indian music)で、音楽によりブラジルらしさを強調します。だから、これは大変力強い音楽です。Sergio Abreu は、この部分がないほうが良いと私に言ったけど、たぶん彼は正しいと思う。私はこれについて狂信的ではないが、少なくとも知られることは重要と思う。あなたが自分で判断できるように、聞かれるべきものです。なぜなら手稿譜は出版するように意図されていたから。とても注意深く書かれ、出版譜に比べ、運指、ダイナミクスのすべてが指示されている。これが出版されなかったのは、気の毒だと思う。(中略)

MB: ヴィラ=ロボス自身は出版にかかわらなかったと考えられるでしょうか?

EF: もちらんそれはわからない。 このことに関するデータがない。 ヴィラ=ロボスは、1948年以降、心臓に問題があって、病院にいたけど、練習曲10番は演奏不可能だから、このセクションをけずりたいと言われて、OKしたのかもしれない。 彼は、800の作品を書いて・・・

MB: 練習曲2番の、最後の2小節のハーモニックスの弾き方がよくわからないけど、手稿譜でははっきりしていますか?

EF: とてもはっきりしている。

MB: そこはどうなっています?

EF: 書かれた音符を普通に弾くと同時に、後ろ側で(訳注:左手のことらしい)、人差し指と薬指で弾く (訳注:訳が違っているかもしれない。下記の原文で、iA?のところが文字化けしてはっっきり読めない)

  What you do is that you play the written notes normally and you also play with the iA?finger the notes behind the finger.

MB: 左手でかき鳴らす・・・面白半分にやってみよう。 調子はずれの音だね。

EF: その通り、でもD#にとても近い、Dナチュラルにしなくては。

MB: でも、こんあな書き方は他の箇所ではしていないね。これが正しい答えだろうか?

EF: なぜなら彼はポルトガル語でこう書いているからね、「左手の人差し指と薬指で弾く(Play with iA?finger of left hand)」 (訳注: 手稿譜には実際にこのような書き込みはない。 Yetesの論文に出ている、カルレバーロの指示のことを勘違いして?言っているのかもしれない)

MB: 最初に書いた微分音だね

EF: 微分音ではなく、調和した音楽ではないと言おう。 彼が微分音を試みたとは思わないよ。

MB: それが私がそのように弾かない理由だよ。そして、以前にそれについて聞いたことがある。 私が単に理解できないからかな? それとも彼がそれを使っている例があるかい?

EF: いや、彼はその前も後も使っていない。 でも、パガニーニがバイオリンで左手でピチカートを使った例を強く思い浮かべて、似たようなことをしたかったのかもしれない。

MB: でも、調子はずれだね。

EF: うん。だけど、ヴィラ=ロボスはスパゲッティを手で食べていたんだよ。彼に上品さを期待できないさ。だから近い音が出れば十分だと思うね。

(後略)


あとがき

・結局のところ、多くの謎が残ったままで、今のところ謎を解明する公開資料がないようです。
 手稿譜が出版されることは大いに意義があるだと思うのですが、何とかならないもんですかね。

・手稿譜はそのまま手直しなしで出版できるレベルに仕上がっており、ヴィラ=ロボスのギターに関する知識・技術の高さを裏づけています。
 ヴィラ=ロボス本人の演奏録音が一部残っているような話も聞きますが、ご存知の方がいれば教えてください。

Stanley Yates氏のHP には、Bachの無伴奏曲の編曲に関する記事など、おもしろそうな記事がいろいろ載っていてます(もちろん英語なのでちょっと辛いですが・・・)。興味のある方は読んでみて下さい。