J.S. Bach: The Art of Fugue
Fretwork

バッハ/フーガの技法/フレットワーク

(harmonia mundi usa 907296)

 

バッハの「フーガの技法」の録音もかなり増え、バラエティに富んできた。古楽器のアンサンブルに限っても、先駆的なコレギウム・アウレウム(deutsche harmonia mundi、1962)にはじまり、ゲーベル/ムジカ・アンティカ・ケルン(Archiv、1984)、サヴァール/エスペリオンXX(Astree、1986)、マルゴワール/ラ・グラン・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ(K617、1993)、アムステルダム・ルッキ・スターダスト・カルテット(Channel Classics、1998)、ドレフュス/ファンタズム(SIMAX、1998)、アレッサンドリーニ/コンチェルト・イタリアーノ(Opus111、1999)などがあり、これにさらにフレットワーク(2002)が加わった。

なお、バッハが想定していた楽器はチェンバロであることを「証明」したという、グスタフ・レオンハルトの有名な論文にもかかわらず、筆者はこの曲の魅力を引き出すには、旋律楽器のアンサンブルこそ相応しいと考える。だいいち、1台のチェンバロつまり2本の手では楽譜どおりに弾けない曲が多すぎる(オルガンならすべての曲を演奏できるが、レオンハルトは、テノールとバスの声部がしばしば交差することから、バス声部に16フィート楽器は相応しくないという理由で、大編成のアンサンブルとオルガンを退けている)。


各フーガとカノンの音域

各フーガとカノンの音域は次のとおり。


種々のアンサンブルの試み

昔からこの作品は、管弦楽のアンサンブルや合奏のための編曲が盛んに行われていて、アレッサンドリーニ盤やマルゴワール盤もその流れを汲むものだ。アレッサンドリーニは弦楽四重奏(一部の曲では第2ヴァイオリンの代わりにヴィオラ)に加えて、トラヴェルソ、4種類のダブル・リード楽器(オーボエ、オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャ、ファゴット)、チェンバロ(オブリガートあり)の編成。一方のマルゴワールはなんと8種類の弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピッコロ・ヴァイオリン、ピッコロ・チェロ、ヴィオラ・ダモーレ、バス・ガンバ)、4種類のダブル・リード楽器、チェンバロ(オブリガートあり)を用いているが、中心となるのは2オーボエ・ダモーレ、オーボエ・ダ・カッチャ、ファゴット、2ヴァイオリン、ヴィオラ、バス・ガンバ、チェロ、コントラバス、チェンバロという大編成。

多くの種類の楽器を使いわけ、また一つの曲の同じパートでしばしば楽器を重ねたり交替させたりするのは、変化と多様性という点で、コンサートではたしかに演奏効果があがるだろう。しかし、声部の連続性が損なわれてしまうし、また後述するように、この作品の基本的な性格も損なわれるように思われる。録音はコンサートとは違うのだから、作品の本来の姿を意識した、理想的な形を提示してほしいと思うのは、筆者だけだろうか。

それは別にしても、この作品を通常の弦楽四重奏で演奏しようとすると、それぞれの楽器の最低音弦よりも低い音が頻出する(上の譜例で赤色の音符)ので、弦楽四重奏用の出版譜ではたいていその部分をさまざまに変更して「ごまかして」あるのだが、アレッサンドリーニもマルゴワールも、これだけの楽器を動員しながら、この問題を解決しようとしているわけではない。しかし、完全主義者バッハのこの作品は、やはりオリジナルの形に忠実に演奏してほしいと思う。

ムジカ・アンティカ・ケルンは、ライナーノートによると第1、5、18曲で第2ヴァイオリンの代わりにヴィオラを用いているが、もちろんこれだけではすべての曲を楽譜どおりに演奏できるわけではない(しかも、第5曲はあえてそうする必要がない)。また、第2、3、10、12曲のフーガと4つのカノンは1台または2台のチェンバロで演奏している。では、ヴァイオリン属のみのアンサンブルでは「楽譜どおり」の演奏は不可能なのか。ヴァイオリン:1、ヴィオラ:1、チェロ:2ならばすべてのフーガを演奏できるのだが、第1チェロにはかなり高音域となる個所があり、音量のバランスも悪くなるだろう。またカノンのうち2曲(14、15)はこれでも演奏できない。

コレギウム・アウレウムは、ヴァイオリン、ヴィオラ、テノール・ヴィオラ(調弦はヴァイオリンのオクターヴ下で、ヴィオラとチェロの中間)、チェロという編成。これならすべてのフーガを完全に楽譜どおり演奏できるし、実際にそうしている。一部のフーガではヴィオローネも加わっているので、終結部で声部数が増えるところも無理がない。ただし、カノンはすべてチェンバロで演奏している。

カノンまで同属楽器のアンサンブルで演奏したものとして、アムステルダム・ルッキがある。17本のリコーダー(音域は9種類)を使い分けて、可能な限りオリジナルどおりに(正確に言えば基本的にオクターヴ高い音で)演奏しているが、リコーダーは個々のサイズの音域が比較的狭いため、第5、8、10、12曲などではところどころオクターブ移動したり声部を交替させたりせざるを得ないし、カノンは2曲しか入れていない。また、管楽器は重音が出せないので、声部数の増加に対処できない。


ガンバ・アンサンブルこそ最適

新バッハ全集のパート譜には、通常の弦楽四重奏編成に加えて、ガンバ四重奏の編成が表示されている。たしかに、いわゆるガンバ・コンソート(正確にはヴァイオル・コンソート)なら、これらすべてのフーガとカノンをオリジナルどおりに演奏することができるのだ。声部が増えるところも4台(4人)で何とか対応できる。ただし、第15曲のカノンは最後の2つの音で声部を交替しなければならないが。

エスペリオンはガンバ・コンソートを主体として、これにコルネット、オーボエ・ダ・カッチャ、トロンボーン、ファゴットの木管金管混成四重奏を加えている。ガンバのみで演奏しているのは全20曲のうち12曲、管楽器のみが3曲(1、4、13b)、残り5曲は両者を重ねたり交替させたりしている。異なる種類(属)の管楽器がミックスされたことにより、音色の統一感は犠牲にされた。また、同一声部で弦と管が交替するところでは、やはり声部の連続性が損なわれている。

ファンタズムはガンバ・コンソートのみによる初めての録音だが、残念ながら全曲ではない(鏡像フーガとカノンは割愛)。以前、その理由をドレフュス氏に尋ねたところ、「鏡像フーガとカノンはガンバ・コンソートに適していない。しかし、近く録音されるフレットワークの全曲盤を聴いたら、考えが変わるかもしれない」という返事だった。

さて、そのフレットワークだが、カノンもすべてガンバのみで演奏。しかも、なんと6人のガンバ奏者が参加し、終結部で声部数が増えるところを分担して演奏している。これでやっと、同属楽器のみのアンサンブルによる、オリジナル資料に完璧に忠実な演奏が誕生したわけだ。ニコラウス・アーノンクールは若い頃、レオンハルトと出会ったとき、この作品を4台のガンバで演奏することに意欲を燃やしていたところで、一方のレオンハルトはこの作品はチェンバロ用であるという例の論文を書き上げたばかりだったので、二人はたちまち深刻な論争を始めたそうだが、それから全曲録音の完成までにおよそ半世紀を要したことになる。


演奏の比較

ムジカ・アンティカ・ケルンは彼ら一流のアクの強い表現をここでも存分に聴かせる。速めのテンポ、切れ味鋭いアーティキュレーションで、まさに快刀乱麻。これと対照的なのがエスペリオンで、全体にきわめて遅いテンポでたっぷりと歌っている。時代が200年くらい遡った感じだ。両者の演奏時間を比較すると、たとえば第8曲では、ムジカ・アンティカ・ケルンが約5分に対して、エスペリオンは約8分。フーガを続けて聴いていると、テンポのことも含めて、どちらもその極端な演奏スタイルがやや鼻についてくる。あまりに個性的な演奏は、この作品に相応しくないと感じられる。

アルベルト・シュヴァイツァーは『Johann Sebastian Bacn』(1908、邦訳『バッハ』、白水社)の中で、「この主題が開いて見せてくれるのは静かな、厳粛な世界である。それは寂寞と凝結のうちに、色彩も光も動きもなく横たわっている。この世界は喜びも気晴らしも与えない。しかも人を捉えて離さないのである」と書いた。これを受けて辻荘一は「鳥もとばず、草もはえず、見るかぎりに氷雪におおわれた高山地帯に身をおいてはじめて感じる美しさ」(音楽之友社『名曲解説全集』)と評している。筆者はもちろんそういう場所に身をおいた経験はないが、何となく想像はできるし、共感もできる。そして、そのような美を感じさせる演奏が理想だと思う。つまり、この作品の規範的、抽象的な性格をより引き立たせるには、できるだけ同属楽器のアンサンブルのみによる、均質で価値中立的な演奏が相応しいと思う。

オリジナル資料に忠実で、しかもこのような基準を満たしているのは結局、コレギウム・アウレウム、ファンタズム、フレットワークの3つだ。しかし、コレギウム・アウレウムはさすがに演奏スタイルが古く、間断なく均一なヴィヴラートがかかっている。ファンタズムはガンバ・コンソートの表現力の限界に迫る名演だが、全曲盤ではないのが残念。フレットワークは、ガンバの特性を活かして音の立ち上がり(アタック)が鋭く発音が明瞭なのが特徴で、とくに対位法的な曲ではそれが武器になる。この作品の理想的な演奏といってよい。

(ガンバW、2002年12月)

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フレットワーク盤に続いてユニークな録音が登場した(Amiata Records, ARNR0301。収録は1999年)。ベルニーニ・カルテット(Quartetto Bernini)というイタリア人3人+ヨウコ・イチハラという日本人女性のグループ。通常の弦楽四重奏編成で、ピッチは a'=440だが、"on Baroque instruments" と称している。ユニークなのは、作曲者の自筆譜を用いていること(2台のチェンバロ用編曲を除く)。音域よりも低い箇所は他のパートと補い合ったり交替したりして、可能な限りオリジナルに忠実に演奏している。第12曲の転回形によるフーガ(12/2)のみ、ヴィオラを2台使っている。

さすがにヴァイオリン属はガンバ属に比べて表現力が大きい。アーティキュレーションなどに凝ったところはないが、テンポが極端に速い曲と遅い曲がある。たとえば第6曲はムジカ・アンティカ・ケルンより30秒以上も短く、逆に第5曲はエスペリオンより20秒ほど長い。全体にアタックがあまり鋭くないことと残響が豊かなことも相まって、速い曲では細かい動きが聞き取れない。しかし、ともかく貴重な録音だ。

(2003年3月)