バッハ/カンタータ 聴き比べ

 

バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会から、満足感と快い疲れとともに帰宅。早速もう1つのカンタータ全曲録音進行中のコープマン盤で10番を聴く。ウマイ。何たるスピード感。でもこれがバッハだろうか? おそらく(ことカンタータ10番に関しては)もうコープマンを聴くことはないだろうと思いつつ CDを棚にしまう。

コープマン盤は、テクニック的には歌も器楽もレベルが高いし、録音も響き過ぎず良いと思う。(ハーツェルツェットのトラベルソだけは、どうしても体質的に我慢できないのは私の趣味の問題です。)

だが、出てくる音楽は出来不出来の落差が大きい。何よりハートに届いてこない演奏が多い。名誉のため付記すれば、107番は抵抗なく、うまいなーと思いながら聴けました。私個人の趣味でこき下ろしたのでコープマン・ファンにはお気の毒ですが、身長・体重と白ひげのボリュームを除いては、全て Suzuki / BCJの勝ち、というのが私の結論。(白髪の量はコープマンの負けであるのは言うまでもない。)

次に、旧録音のアーノンクール/ CMW の178番と93番を聴く。(もう夜の11時過ぎ、眠い。)発売当時の感激はBCJ の名演の後ではやはり薄れる。楽器演奏のレベルが現在より低いのは当然だし(古い友人を大切にするので鍵盤やフルートは常に期待できないのがアーノンクール盤)、偉大な業績であったと尊敬はするが、演奏が粗い、というより音楽作り自体の「荒い」感じがぬぐえない。(モダンオーケストラのアーノンクールはすごい集中力を感じるが、新盤マタイが良いとは私には思えません。)

最後に、旧録音のもう一方の雄、レオンハルト演奏のカンタータ10番を聴く。レオンハルト合奏団の弦は、CMWよりさらにレベルが低かったのですね。聴いているうちになつかしいのと、欠点はあるが実に音楽的なのと、バッハ的(と感じた)なのとでいつの間にか1曲集中して聴き終わる。ついつい107番も聴きたい、という気にさせる名演奏だった。眠いのも消えている。で、107番、こちらもすごい演奏。この時期になるとレオンハルト合奏団の弦楽器のレベルもかなり上がっている。(ところで、107番の出だしあたりを聴いていると、オーボエと、フルート or リコーダーの入った室内楽が作られていない or 残っていないのはバッハ好きには痛恨の極み。 カンタータ3曲削ってトリオ / カルテット3曲と取り替えて欲しい。カンタータやブランデン2番の第2楽章などでの、バッハ固有のオーボエ・フルート・バイオリン・低音の絡み合いを聴いていると、そんな感じしませんか? どなたか、152番 冒頭の原曲(そんなのがあれば)全3楽章の手稿譜を見つけました、というような人がいたら中華食べ放題にご招待したいものです。)

話をレオンハルトに戻します。エグモント、エクィルツ、ビルスマ、ブリュッヘン等、各自が強いオリジナリティーを持っている天才達が、レオンハルトの下に完璧なハーモニーをかもしだす、二度と望めぬ名演だったのでしょう。ヘレウェッヘの生もCD も大好きだし、BCJも最高ですが、レオンハルトの30年前の演奏を越えていない。意外でした。前述の10番のアリアも、エグモント、ビルスマ、レオンハルトの(資料がないけどこの3人に違いない)すごい演奏、幸せを感じる。

30年も前の私事で恐縮ですが、武蔵境の某氏の部屋に集まり、出たばかりのテレフンケン・レコードを何故か徹夜で聴いた頃の感激(慣れないレオンハルト節についていけないのを感じながらも初めて聴くカンタータの群に感動した青春の日々)が、新たな新鮮さでよみがえりました。

歴史の波に消え去ることのないレオンハルトの演奏、ハープシコードもアンタイ等の若手が素晴らしいのに最後にはレオンハルトの古い録音を聴いてしまう。

ただ一つ、エクィルツ不在時のテノール歌手の選択がレオンハルトの犯した唯一のミステーク。107番のついでに聴いた106番の超名演でも、テノールの鼻声(アルテナでしたっけ)に一挙にずっこけた。しかし、10番の前後にあるのでつい聴いてしまった8番(音楽がヘレウェッヘ以上の名演、テノールもエクィルツで安心)も12番(テンポが麻薬のように体に浸みてくる)も、いずれもピカいちでした。これを聴きながら静かな感動をもって眠りにつく。充実したしんどい1日でした。バッハ・ファンの皆様、おやすみなさい。

(世田谷のトム・ワトソン,2002年6月)