トレヴァー・ピノック 初来日公演

(1983年)

 

なつかしのコンサート、二人目はトレヴァー・ピノック。

いつまでも青年のような風貌のピノックもすでに56歳。2年前のバッハ・イヤーの来日では鼻めがねが少々気になったが、初来日の1983年は三十代半ば、まさに颯爽といった形容詞がぴったりだった。

私がピノックを知ったのは1970年代にCRDというレーベルから出されたレコードが最初だった。イギリスの音楽や、すでに組織していたイングリッシュ・コンサートとのチェンバロ協奏曲など、水際立った演奏を繰り広げていたが、なんと言ってもラモーのクラヴサン曲全集がすばらしかった。ルビオなど現代の名工による3台のチェンバロを使い分け、録音も秀逸、演奏も清潔で集中力のこもったものだった。

その後CRDからArchivの専属となりバッハの協奏曲などに続々と名演奏を送り出したピノックが、遂に83年初来日を果たした。当時私は大阪転勤中で、関西で唯一コンサートが開かれた11月24日、会場である京都市中心部の河原町カトリック教会に出かけた。使用楽器はD. Way作の出来たてほやほやのフレンチのコピー。バッハの作品を中心に、ヘンデル、スカルラッティを前後に置くというプログラムだった。

満面の笑みを浮かべて登場したピノックは思ったよりも小柄だった。少し気取り屋風な素振りを見せながら、ヘンデルのシャコンヌ、バッハの平均律と、バロックの名曲を素晴らしいテクニックで惜しげもなく披露し、聴衆もそれに引き込まれていった。

ところが、確かバッハのパルティータ第4番の演奏を始めた時だと思う。何せ普通のコンサートホールと違い、河原町通り沿いにある教会ということもあって外の騒音を完全シャットアウトとはいかない、何と救急車が教会の前を通り過ぎたのである。そう、例の「ピーポー、ピーポー」である。さすがのピノックもこれには驚いて、演奏を途中で止めてしまった。チェンバロの譜面台あたりに肘をついて約30秒、救急車が過ぎ去った後、彼はイギリス人らしいウィットで観客ににっこり笑いかけ、再び第4番の最初の強烈な和音を引き始めたのである。それまで会場内にあった一種の緊張感がこの一件でリラックス、一層素晴らしい演奏となった。

一昨年、バッハ・イヤーではピノックの「マタイ受難曲」を聴いた。その演奏は同時期に来日していたヘレヴェッヘやブリュッヘンに比べると随分とロマンティクな演奏で、ピノックの新しい面を見たような気がした。ポッジャーやベンゲロフ(!)という素晴らしい共演者を得た彼が、今後どのような演奏を聴かせてくれるのか楽しみである。

(T.M. 2002年11月)