Daniel R. Melamed (Ed.)
"J.S. Bach and the Oratorio Tradition"

Univ of Illinois Pr (2010/12/15)

 

最新の Bach Perspectives 第8巻は、バッハの声楽曲、オラトリオについての6つの論文を集めたものである。

「オペラの呪文のもとで? バッハのオラトリオ3部作」(C. Wolff)は、コンパクトだがたいへん面白かった。Wolffは、当時のオラトリオは宗教的オペラであり、演技がないことを除けば劇場オペラと同じで、バッハの作品ジャンルでは世俗カンタータのDrama Per Musica(音楽による劇)と近縁であることを説明する。そして、教会に劇場風のオペラを持ち込まないと、雇い主であるライプツィヒ市当局に約束させられたバッハにとって、このオラトリオというジャンルは挑戦的なものであり、その作品の各楽章がすべて世俗カンタータ(音楽劇)からの転用になっていることを、説得力をもって説明している。

さらに他の4つの論文も面白い。「バッハとブロッケス」(D. Melamed)は、受難オラトリオの歌詞作者で、当時多くの作曲家がその歌詞に作曲したブロッケスについて、バッハと交友があったこと、バッハはブロッケスの詩には直接作曲しなかたものの、受難曲やオラトリオにおいてブロッケスの詩から影響を受けていたことを説明する。「劇と講和:バッハのオラトリオにおけるコラールの役割」(M. Rathey)は、受難曲を含むオラトリオのドラマの進行におけるコラールの役割について、その形態別に整理し、特に会衆にとっては節目節目で進行状況の理解を助ける役割を果たしていたと説明している。「午後5時のオラトリオ:リューベックの夕べの音楽からバッハのクリスマス・オラトリオへ」(K.J. Snyder)は、若き日にバッハが通い、強い感銘を受けた、リューベック市の聖マリア教会におけるブクステフーデ主宰の「夕べの音楽」の詳細を、残された資料から整理し、その構成が後年の「クリスマス・オラトリオ」6部作につながっていることを説明している。「バッハの昇天祭オラトリオ:神の国とその表現」(E. Chafe)は同作品の構造、構成および由来(パロディ)について、よくまとまった説明がされている。

この論文集で一番感銘を受けたのは「器楽的旋律の勝利:バッハのヨハネ受難曲における音楽と詩の関係」(L. Dreyfus)である。この論文では、バッハが受難曲(受難劇)としての進行と表現のために、必ずしも詩に忠実な作曲をしていないこと、また器楽アンサンブルとの緊密な関係を作るために、アリアとして必ずしも望ましくないメロディー構成をあえて採用していることを、ヘンデルのオペラとの対比で説得力を持って説明する。特に同時代の音楽書では、1:詩の言葉や表現に従った音楽がつけられていること、2:歌詞を明晰につたえること(器楽が優勢になってはならない)、3:歌詞の表す感情や意味を明確につたえること、個性や色彩はおさえること、以上の3つが良いアリアの3条件とされていることを紹介し、ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」におけるセストのアリアが、この原則にみごとに合致していることを証明した後、バッハの「ヨハネ受難曲」のいくつかのアリアについて、この原則よりも楽曲としての全体像を優先させているバッハの風変わりさと、その執着ぶりを説明してみせる。バッハは声楽曲でも旋律が器楽的だとよくいわれるが、そのことを論理的に、しかも当時の常識との対比で鋭く説明している。多くの歌い手がヘンデルを好み、バッハを敬遠しがちな理由がわかったような気がした。

(SH、2011年9月)