Donald Burrows (Ed.) "The Cambridge Companion to Handel"

Cambridge Univ Pr (Txp) 0521456134 (1997/12) amazon.co.jp

 

10年ほど前に編まれたヘンデルを総合的に扱った著作集であり、新しい本ではないが、海外出張の機会に書店で見つけ読んでみた。今まで読んだヘンデルに関する本は、ホグウッドのものなど、どちらかといえば伝記ものが多く、その生涯と器楽に関する断片的な知識だけで、多面的に理解することがなかったので、この著作は大変に勉強になった。

このアンソロジーは、全部で18篇の論文よりなっているが、大きく、1)ヘンデルを取り巻く時代背景、2)ヘンデルの音楽、3)ヘンデル音楽の演奏、の3つの部分に分かれている。ヘンデルを取り巻く時代背景の章では、7つの論文で、ヘンデルが暮らした各地――ドイツ、イタリアおよびイギリス(ロンドン)について、ヘンデルを取り巻く環境、ヘンデルの先生、寄宿した貴族、劇場支配人、劇作家や歌手など直接的な関わりを持った人物たち、またより広く当時の社会的環境や音楽、演劇、美術など文化的な時代背景を整理している。John Buttの「ドイツ――教育と弟子入り時代」、Carlo Vitaliの「イタリア――政治的、音楽的側面より」の2編が、あまり記録の残っていないヘンデルの原点ともいえる時代を、外堀から徐々に埋め明らかにしており、見事である。また、ロンドン時代の4篇は、当時の経済的先進国、音楽的後進(輸入)大国であったイギリスと、そこにイタリア人を中心に集まってくる作曲家、演奏家、歌手の人間模様と、一人ザクセン人として気を吐くヘンデルの姿を浮き彫りにする。

ヘンデルの音楽の章も7つの論文よりなっており、オラトリオ、オペラ、教会音楽、鍵盤音楽、室内楽、コンチェルトのジャンル論と、借用・転用などで話題の豊富な作曲手法論より構成されている。中でもC.Steven LaRueの「ヘンデルとアリア」では、ヘンデルが生涯を通じてカンタータ、オペラやオラトリオといった声楽曲を中心に音楽活動をし、生涯で実に2000曲以上のアリアを作曲し、情感豊かで味わい深くかつエネルギッシュなアリアをつくる名人として知れ渡っていたこと、ヘンデルの死後1761年に、ウエストミンスター寺院に飾られたヘンデルの像が持っている楽譜は、当時から有名なメサイアのハレルヤ合唱ではなく、アリア「"I know that my redemer liveth(我は知る救い主は のちの日に 地の上に 立ちまさん)」で、このアリア作曲家としてのヘンデルを裏付けていることなど、器楽からのみヘンデルに接している者には目からうろこの内容になっている。また、Malcom Boyd「ヘンデルの室内楽」、Donald Burrows「協奏曲作曲家としてのヘンデル」では、ヘンデル時代の音楽ジャンル、「劇場音楽」「室内楽」「教会音楽」の区分にヘンデルも従っていること、室内楽は、一般的に小規模の器楽によるアンサンブルだけではなく、カンタータなどの声楽曲も室内楽として扱われており、小規模の編成のアンサンブルで演奏する協奏曲も室内楽として扱われていたことを、例を示しながら浮き彫りにする。

ヘンデル音楽の演奏の章は、4つの論文であり、ヘンデルのイタリア語の取り扱い、オーケストラ、オペラおよびオラトリオの演奏について説明し、ヘンデルの死後、滅びてしまったカストラートや当時とかけ離れて巨大になった合唱とオケやドイツ語訳による演奏などのひずみを取り除き、ヘンデルの精神に近づこうとするための方法論として、最近復活してきたオリジナルな編成での演奏を、各種のデータでバックアップする。バッハと活躍の場やジャンルが遠くはなれたヘンデルにおいても、オケと合唱の融合度、ソロと合唱の切れめのないつながりなど、驚くほど共通の美意識があることが実感される。

本アンソロジーは、ヘンデル音楽の受容(史)の部分は含まれていないが、当時の音楽をなるべく直線的に理解したいという向きには、かえって予備知識になる受容史がなく、その代わりに当時の環境の説明が充実しているのは、ありがたい。通読するもよし、鑑賞や演奏の際に手引きとして読むもよしの、良い書籍だと感じた。

(SH、2006年8月)