Daniel R. Melamed "J.S. Bach And The German Motet"

Cambridge Univ Pr (Txp) ; ISBN: 0521619769 ; (2005/02/28) amazon.co.jp

 

独立した器楽声部がないモテットは、器楽奏者にいちばん馴染みの少なく縁遠い存在だったが、米国のバッハ学者Melamed氏の著作『バッハとドイツ・モテット』が出版されたので、バッハ声楽曲の中で未探索の分野と思い、読んでみた(2005年ペーパーバック。ハードカバーは1995年)。本書は著者Melamed氏の博士論文が基になっており、バッハのモテットのみを論じ、本文だけでも200ページ近い大作であるが、構成が工夫されており、比較的読みやすかった。

全体は、第1部「モテットの用語と概念について」、第2部「バッハのモテットについて」、第3部「バッハの協奏的楽曲におけるモテット様式」、第4部「バッハと17世紀ドイツモテットの接触について」、の4部構成になっている。

第1部では、モテット様式とモテットそのものの区分について説明している。モテットは古い歴史をもち、ヨーロッパ各地で作曲されているが、18世紀前半のドイツでは、非常に明確な定義があることを当時の文献を中心に説明する。モテットは、その歌詞に聖書の言葉または讃美歌の歌詞のいずれかをもち、特に前者が重要であること、モテットは必ず声楽と器楽で演奏されるが、器楽は(通奏低音を除き)声楽と同じ声部を重ねるいわゆるコラパルテで演奏されることを明らかにしている。また、モテットはその音楽の様式として、対位法を中心とした古様式(stile antico)を採用する。最後に、モテットは完全な楽曲として、ジャンルとしてのモテットとして存在するだけでなく、各種の曲の中で部分的に展開される様式(モテット様式)としても存在することを説明する。第1部の最後には、バッハのモテットとモテット様式の楽曲を鳥瞰し、バッハは18世紀ドイツのモテットの定義と全く同じ考え方で自分の作品を分類していること、器楽により声楽をなぞる方式なども同時代の概念と違和感無いことを証明している。

第2部では、第1部の最後で説明したバッハのモテットについて、楽曲ごとに細かく解析している。著者はここで、従来の「バッハのモテットは、他の作曲家のモテットと全く異なった頂点を形成している」、「バッハのすべてのモテットはライプツィヒで作曲された」という通説を明確に否定し、バッハのモテットは当時のモテット概念の延長にあり、それを一段の高みに到達させたこと、一部のモテットはワイマール時代までさかのぼる可能性があることも説明している。

第3部で、いったんモテット曲から離れ、モテット様式について、その様式が意味するところ、バッハのミサ曲やカンタータでモテット様式が使用されている例について、その内容を分析する。バッハにとってモテット様式は、カンタータなどの宗教曲の中で、聖書のテキストやコラールの歌詞を適切に表現するものであり、トロンボーンなどの楽器と結びつけて用いている例も多いことを説明する。また、一方で、モテット楽曲では厳密なモテットの枠組みを守るバッハが、モテット様式のカンタータ楽章では、(他のバッハの楽曲での特徴と同じく)協奏様式やアリアなど劇場形式との様式の融合を行い、新たなアプローチを試みていることも整理してみせる。

以上のように、モテットについて、当時ドイツでの概念とバッハの作曲・演奏活動でのモテットの役割、位置づけ、および個々の楽曲の分析をした後、最後に近年再発見された「バッハ家の古い音楽書庫(Altbachisches Archiv)」に含まれる、バッハの先祖を含む先人・周辺のモテットを分析することで、バッハがドイツにおけるモテットを深く知る位置にあり、当時のモテットと矛盾せず、その中に高いレベルの作曲技法を持ち込んだものであり、ライプツィヒの宗教活動の一環として存在していることを再度、説得力高く証明する。また、各声部を器楽でユニゾン(コラパルテ)でなぞる方法も時代の美意識の支えた演奏習慣であり、決して大合唱団のアカペラのための曲でないことも再認識させている。

合唱団には馴染みがあっても、器楽奏者にはなんとなく近づきがたかったモテットだが、カンタータやミサ曲の楽曲の中でモテット様式が適用される意味を再確認し、純粋モテット曲も、各声部とも小編成で、器楽と声楽の音色が融合したクリアな線を作り、それが絡み合っていく演奏を目指すならば、アンサンブルとしても今までとは違った楽しみや感動を伝えられるのではないかと実感した。合唱好きには、深い理解を提供するし、それ以外の人にも、「目からウロコ」の読み物であろう。論文が下敷きなので、全体に論理的、解析的なトーンで貫かれているので、一般読者にとっては、(欲を言えば)モテットの楽しみかた、個々の曲の宗教的・作曲的な意味づけなどを少し追加していただけるとありがたい。

(SH、2006年4月)