Christopher Hogwood
"The Keyboard in Baroque Europe"

Cambridge Univ Pr ; ISBN: 0521810558 ; (2003/06/01) amazon.co.jp

 

ケンブリッジ大学出版の「音楽の演奏と受容」(Musical Performance and Reception)シリーズの1冊として刊行された、バロック時代の鍵盤音楽についての論文のアンソロジーである。

本書の特徴は、歴史的鍵盤楽器演奏とバロック音楽実践の大家であり、現在のチェンバロ音楽、チェンバリストを語る上で欠かせない、グスタフ・レオンハルトの75歳の誕生日を記念して刊行されたことである。数多くの弟子を育て、演奏の実践を重ねてきただけでなく、研究や音楽の読みの深さでもずば抜けているレオンハルトであるが、半世紀近く前の「バッハ:フーガの技法」の論文以外、ほとんど執筆活動を行っていない。そこで、ホグウッドら、レオンハルトの影響を受けた演奏家・研究者が、レオンハルトへのオマージュとして執筆しており、著者にはヴォルフやウィリアムスなどの音楽学者だけでなく、ホグウッド、バット、モロニー、シュレンベルグ、デルフト、レヴィンなどの多くの演奏家が名を連ねており、また最後には、チェンバロ奏者モルテンセンによる無伴奏ヴァイオリン・パルティータのチェンバロ編曲が収録されているなど、実践の色濃い論文集で親しみが持てる。

内容的には、パーセルの全集発行以降の各種手稿や筆写譜の発見をもとに、パーセル演奏の可塑性を説明したホグウッドの「集大成造り:パーセルの鍵盤曲全集」、ドレイフュスの論考で有名になったバッハの作曲技法を旋律面から新たに展開したヴォルフの「インヴェンション、作曲と資質の改善―教師・実務理論家としてのバッハ」、バッハとラモーの鍵盤楽器技法の相互共鳴について解説したウィリアムスの「バッハのクラヴィア練習曲集第1巻に『影響の不安』は認められるか?」が面白かった。また、鍵盤楽器奏者には、バッハの息子たちの世代における多感様式での通奏低音手法を論じたシュレンベルグの「最も優雅な趣味を目指して」、チェンバロ特有のタッチの手法を論じたデルフトの「Schnellen:18世紀鍵盤の本質的なアーティキュレーションの技法」や、モーツァルトが姉ナンネルに贈ったバロックからの流れを汲んだプレリュードについて解説したレヴィンの「モーツァルトの拍子なしの鍵盤用プレリュード」が実践と受容の課題を現実の演奏家が論じたものとして一読に値すると思われる。

全体を眺めると、最近のバロック鍵盤演奏の研究と実践の深まりを感じるとともに、執筆した第一線の演奏家・学者がその原点にレオンハルトをあげているのが、(数十年前、レオンハルトの演奏に接し、バロック音楽から逃れられなくなった身としては)大層興味深かった。

(SH、2003年9月)