Laurence Dreyfus
"Bach and the Patterns of Invention"

Harvard Univ. Press ; ISBN: 0674060059 ; (1997/02/01) amazon.co.jp

 

1996年に発行されたもので、新刊書ではないが、カメラータ・ムジカーレで今年の秋の音楽会で演奏する曲が分析されていることもあり、読み返してみた。

本書『バッハと創意のパターン』はバッハの作曲技法について、(その天才を認めながらも)楽曲の構成は比較的限定されたいくつかの創意工夫の手法から成り立っているとして、バロック時代共通の弁論法との類似性から解き明かし、この手法を徹底して使いこなした偉大な職人としてのバッハを解明したもの。私には、バッハが語ったという「私は懸命に働かなければならなかった。私と同じように懸命に働く人間は、だれでも同じように成功するだろう。」が演奏技法だけでなく、作曲にも当てはまることを初めて納得した著書であり、図表や分析の内容が明快であり大変参考になる。

以下全体の構成と、チェンバロ協奏曲ニ短調を中心に分析している第7章「バッハのスタイルについて」を例に、紹介したい。

第1章「創意(インベンション)とは何か」、では文字通りバッハの創意工夫の源泉を、インベンションとシンフォニアへのバッハの自筆序文から解きほぐし、キケロの弁論法とバッハと同時代の音楽理論家マッテゾンの作曲法とを関連付けて説明する。具体的に有名な第1番のインベンションが、2つの主要なテーマと3つの展開部分の組み合わせで出来ており、転回、反転、転調などの基本操作を用いて曲が組立て(創意)されていることを説明する。インベンションはカンタービレ演奏を習得するだけでなく、文字通り良いインベンションを学ぶための格好の材料である。

第2章「グレイン(粒)に対しての作曲」、では作曲の最小要素(grain)を用いた作曲手法をバッハの特徴としてあげ、鍵盤組曲と他者の同種の曲を比較する。特にカンタータ第18番の4つのヴィオラと通奏低音のためのシンフォニアを例に、主題からすべての転回要素がつむぎだされている事を説明する。

第3章「理想的なリトルネッロ」、ではヴィヴァルディらにより持ち込まれた協奏曲の典型的な要素であるリトルネッロ形式を、バッハがどう受容し、独自の作曲手法として展開したかを、V=Vodersatz (主題)、F=Fortspinnung (紡ぎ出し)、E=Epilog (エピローグ)として分析する。例としてホ長調のヴァイオリン協奏曲、オルガン協奏曲というべきカンタータ第35番のシンフォニア、ブランデンブルク協奏曲第2番、2台のチェンバロのための協奏曲について解説のあと、リトルネッロ形式はヨハネ受難曲のアリア「急げ、心悩める人々よ」にも適用されていることを示す。

第4章「ジャンルの状況」では、この作曲手法が、協奏曲以外の多くの曲に適用されていることを、ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第3番ト短調、ブランデンブルク協奏曲第5番、ハ長調の無伴奏ヴァイオリン・ソナタのフーガ、イギリス組曲第3番のプレリュードで証明する。引き続き第5章、第6章では、平均律クラヴィア曲集やフーガの技法、オルガン曲などのジャンルも同様な整理が出来ることを示す。

第7章「バッハのスタイルについて」は、逆にこの作曲手法の分析が曲の真偽や作曲の関連性を説明できるとして、バッハの様式論を楽曲の作曲手法の側面から論じたもの。真偽の議論のあるニ短調のチェンバロ協奏曲(BWV1052)、偽作のト短調ソナタ(BWV1020)とヴィヴァルディの協奏曲原理応用の有無で作曲年代論の戦わされているブランデンブルク協奏曲第6番(BWV1051)を題材に、作曲手法の分析を行い、様式論からのバッハの真作・偽作の判定や作曲年代論に一石を投じている。

最後の第8章「啓蒙主義の批評家としてのバッハ」は、フランス風序曲、イタリア協奏曲やカンタータBWV198を題材に、バッハの新しい趣味への対応が、創意のパターンという作曲手法と皮肉にも相反するものであり、バッハの死後、古典派への移り変わりの中で、この「創意のパターン」の作曲手法も終焉を迎えることを説明して、この250ページにおよぶ労作を終えている。

第7章で分析されているバッハのニ短調のチェンバロ協奏曲部分を要約してみよう。

この曲は最高の名作と認められている一方で、音楽学者から真偽のほどを突きつけられている皮肉な曲である。自筆を含む原典資料については比較的良い条件が整っているので、資料的にはバッハの作を疑うものは何も無い。音楽学者から偽作の疑いが掛けられているポイントは、原作の(ヴァイオリン)協奏曲が様式的にバッハらしくない、ソロがチェンバロらしくないというもの。

ドレイフュス氏は第1楽章を分析し、以下の反論をあげて、原曲もバッハの手になることを証明している。

(1) 最初のリトルネッロは4つの部分に分かれており、その接合はバッハの巧みさを示す。 (2) 第2リトルネッロは、エピローグなしに中断される。第2Fortspinnung(紡ぎ出し)の最後は厚い和音と装飾的な走句で終わる。続いてこの進行の反行形を低音が模倣し、属調に展開するなど創意のパターンを示す。 (3) 同じく第5リトルネッロも終結部が欠落している。フェルマータで緊張感溢れる持続となり、ソロのカデンツァが終わりドラマティックに終止する。 (4) すべてのリトルネッロは、様式の単純なことを善しとしないバッハ流の創作になっている。つまり、リトルネッロがひとつとして同じでないように仕上げられている。

第3楽章も同様に、以下の通りバッハの筆のみに典型的な作曲手法を示している。

(1) 楽章は5つの異なった調性でリトルネッロが構成されている。 (2) リトルネッロの「部分分け」は多様である。 (3) 長調への転調が可能な終止部分での「転調」の適用。 (4) 6番目と9番目のリトルネッロでの主題(V)の対位法的な転回の適用。 (5) リトルネッロの中での「編成の多様性」、リトルネッロの中でソロが活躍する。

(SH、2003年6月)