Laurence Dreyfus "Bach's Continuo Group"

(Harvard University Press; ISBN: 067406030X, 1990) amazon.co.jp

 

ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者としても活躍中の音楽学者ローレンス・ドレイフュスが、バッハの教会音楽作品における通奏低音についての研究調査をまとめたもの。氏の学位論文をもとにして書かれ、10年以上前に出版されたものだが、カメラータ・ムジカーレでカンタータから何曲か演奏会にかけることになったので、読んでみた。

本書は「バッハのカンタータはオルガン伴奏かチェンバロ伴奏か?」「レシタティーヴォの記譜はどう演奏するか?」「鍵盤楽器の左手は実際にどんな低音楽器が弾いたのか?」というテーマを中心に、初期のカンタータから始まり、ライプツィヒの成熟期の教会音楽までのパート譜や同時代の各種資料の綿密な調査により、説得力のある結論付けをしている。自筆資料やオリジナル・パート譜などもふんだんに掲載されており、上記のテーマだけでなく、楽譜を眺めながらいろいろなことを感じられる楽しみもある。

最初の「バッハのカンタータはオルガン伴奏かチェンバロ伴奏か?」はシュピッタの古典的なバッハ評伝以来、二者択一の議論として長く議論されてきたが、著者は、この二者択一の議論に終止符を打った。つまり、少なくともライピツィヒではチェンバロの伴奏を、オルガンも使いながら併用した。チェンバロの使用は、当時流行の先端であるだけでなく、バッハの高度な協奏的教会音楽を演奏するのに重要な通奏低音奏者が、(当時の習慣にそって)おそらく楽譜をまるめて指揮をとるバッハや他の演奏者(特に同じ楽譜を見て演奏する通奏低音チェロ奏者)の動きに敏感に反応できるメリットがあったことを、現在より半音高い(コーアトーン)オルガンの調律と現在より半音低い(カンマートーン)チェンバロの移調譜の綿密な調査から証明している。特にレシタティーボは、チェンバロの伴奏が重要であることも証明している(ライプツィヒ以前はオルガンのみの伴奏がバッハの演奏形態と推定される)。

2番目の「レシタティーヴォの記譜はどう演奏するか?」については、ここでの著者の結論が、現在では演奏の主流になっている。つまり通奏低音のみの伴奏のレシタティーボは、低音が全音符や2分音符などの「白い音符」で書かれているが、これは、筆写の手間を下げ、ハーモニーの動きを明確に奏者に伝えるためのもので、短く弾くべきであることを、当時の資料、通奏低音にあまり登場してないファゴット奏者向けの厳密音で書かれたパート譜、弦楽伴奏と通奏低音のみの伴奏が頻繁に登場し区別がつきにくいためにバッハが厳密に音価通り記述した受難曲パート譜などで証明して見せている。

最後の「鍵盤楽器の左手は実際にどんな低音楽器が弾いたのか?」については、ファゴット、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオロンチェロ・ピッコロ、ヴィオラ・ポンポーザ、リュート、ヴィオローネなどを調査し、ライプツィヒ以降はチェロが標準的なメンバーであることを証明している。また、ヴィオローネについては記譜音どおりの音を出す8フィートのもの2種類と記譜音より1オクターブ低い音を出す(今日のコントラバスと同じ音域の)16フィートのものがあったことを、同時代資料とパート譜から説明している。ここにはブランデンブルク協奏曲のヴィオローネについて(マリッセンの論文より)細かく突っ込んで説明が書かれている。

全体に論旨は明快で、通奏低音楽器演奏者としての演奏からの確信もあると思うが、納得できる結論になっていると思う。特に毎週新作で、当時、前衛的かつ複雑で演奏の難しいバッハの協奏的教会音楽(カンタータ)を伴奏するのに、演奏者から離れたオルガン奏者だけでは難しく、チェンバロが全体をまとめるのに最適である、という着眼ポイントは、バッハの曲のアンサンブルの難しさを知るものとしては、納得であり大きな拍手を送りたい。ひとつ分からないのは、ライプツィヒでは、オルガンだけが、チェンバロや管弦楽演奏者の楽器の調律と1全音違っているために、今日の平均律とは異なる当時の不等分平均律(いわゆるバロック・チューニング)調律での1全音は、響きの点で大きなインパクトになる点を追究していない点である。1音移調すると演奏難易度も音程あわせ難易度も途端に激変する当時の管楽器を演奏をする者にとっては、このポイントこそが、オルガンの役割がライプツィヒのカンマートーン楽団との合奏で控えめな理由のようにも感じているのだが。

最近人気が出てきたカンタータを愛好する者にとっては、上記の3つのテーマだけでなく、参考になる事実がたっぷりであり、一読をお勧めしたい。

(SH、2002年10月)