ラモーとテレマン

カメラータ・ムジカーレ第46回演奏会 プログラム・ノート

(2006.11.3 聖パウロ女子修道会、2006.11.5 横浜市開港記念会館)

 

ラモーとテレマン

18世紀,市民革命へと向かうヨーロッパ大陸では、社会構造の変化とともに音楽の消費層が王侯貴族から市民階級へとゆるやかに移行するのに伴って、音楽の性格も大きく変化しました。バロック音楽の頂点を極めたバッハ(Johann Sebastian Bach、1685-1750)は、晩年になるとますます技巧を凝らした複雑で抽象的な性格の作品を多く書きましたが、こういう音楽はすでに時代遅れでした。人々(市民階級)はしだいに、もっと簡素でわかりやすく、具体的なイメージを表現した音楽を好み、また時代の主役となった自分たちにふさわしい、エネルギーとバイタリティにあふれた音楽を求めるようになったのです。

このような時代の変化をいち早く感じ取り、自らそれに応えようとした音楽家が、フランスのラモー(Jean-Philippe Rameau、1683-1764)と ドイツのテレマン(Georg Philipp Telemann、1681-1767)です。しかし彼らは、安易に時代に迎合したのではなく、技巧性や装飾性、洗練された優美さといった従来の音楽の特徴を保ちながら、新しい時代の息吹を感じさせる明快さと力強さを併せ持った音楽を生みだしたのです。そのため彼らの作品は、当時のさまざまな階層の人々から高い評価を受け、絶大な人気を博しました。

ラモーはフランス各地で教会オルガニストや音楽教師として過ごした前半生にはいくつかのクラブサン曲(「めんどり」が有名。クラブサンはチェンバロのフランス名)と音楽理論書(『和声論』など)を出版しただけでしたが、なんと50歳の時に初めて作曲したオペラが好評で、その後次々と発表したオペラにより名声を得ると、60歳を過ぎてからルイ15世の宮廷作曲家に任ぜられ、フランス音楽界の第一人者としての地位を確立しました。晩年にはさらに多くの音楽理論書を著し、貴族に列せられて81歳で世を去ったときには、盛大な国葬が行われました。

テレマンは超人的な活動をした音楽家です。30曲のオペラ、1150曲の管弦楽曲、1750曲の礼拝用音楽など、86年の生涯に4000曲の作品を残しました。ハンブルク市の音楽監督を務めた後半生は、5つの教会で年間約60曲のカンタータを作曲・演奏し、教会付属学校で音楽やラテン語、教理問答を教えながら、オペラ劇場の監督、市の外交官まで務めました。その一方で、一般市民の教育と啓蒙を目的に、著述活動に励み、公開演奏会を主催し、自ら印刷用の銅版を彫って多くの作品を出版するなど、新たな市場の開拓にも余念がありませんでした。

本日は二人の天才音楽家による、バロック音楽の最後の輝きともいうべき、祝祭的雰囲気にあふれた宴(うたげ)の音楽をお届けします。

テレマン/「食卓の音楽」

「食卓の音楽」とは宴会用のBGMのことで、当時はこのようなタイトルの曲集がいくつか出版されました。その中でもテレマンの作品は最も有名で、テレマン自身が友人への手紙に「この作品はいつの日か私の名声を高めてくれるでしょう」と誇らしげに書いているとおり、汲めども尽きぬ豊かなアイデアと、万人に受け入れられる親しみやすさを備えた傑作です。

曲集全体は3部に分かれ(第1集〜第3集)、各集とも序曲、四重奏曲(カルテット)、協奏曲、三重奏曲(トリオ)、独奏ソナタ、終曲という共通の構成です。冒頭の序曲は、実際にはいくつかの舞曲がそれに続いているので、つまり管弦楽組曲になっています(「ダルダニュス」の項を参照)。また、各集とも序曲と終曲は楽器編成が同じなので、本来は終曲もこの管弦楽組曲の一部といっていいでしょう。

第1集の序曲と終曲は2つのフルートと弦楽合奏という編成で、フルートだけでなくヴァイオリンとチェロにも独奏部分があります。

ラモー/コンセールによるクラブサン曲集

5曲からなるこの曲集はラモーによる唯一の室内楽作品です。イタリア語の「コンチェルト」と同源の語であるフランス語の「コンセール」は、小編成の合奏を指します。編成の大小にかかわらず、ふつうクラブサンは合奏の中で通奏低音(鍵盤楽器+低音旋律楽器)を受け持ちますが、この作品ではむしろクラブサンが主役となり、それに旋律楽器が彩りを添えるように絡み合います。

「ラ・ポプリニエール」とは、ラモーのパトロンであった富豪ラ・ププリニエールと、その名の由来であるポプラを掛けたものです。タンブーラン(タンバリン)は当時流行した速い2拍子の舞曲で、本来はタンバリンを持って踊りました。

テレマン/協奏曲 変ロ長調

緩-急-緩-急の4楽章から成り、のびやかな第1楽章、フーガによる活気のある第2楽章、オーボエの響きが印象的な第3楽章、ポーランド風の第4楽章と、それぞれの楽章に個性を感じさせる力作です。

この曲はドレスデンの図書館にある筆写譜により伝えられていることから、ドレスデンの宮廷楽団により演奏されたと考えられています。テレマンも自伝で高く評価したヴァイオリンの名手ピゼンデル率いるこの宮廷楽団は、当時ヨーロッパ随一と謳われ、かのヴィヴァルディも多彩な音色で聴かせる協奏曲を残していますが、テレマンはさらにヴィオラ2つを独奏楽器に加えた類のない楽器編成で、効果的な音色の対比を実現しています。

バロック時代の協奏曲は、ふつうは1つまたは複数の独奏楽器と弦楽合奏という編成ですが、この曲のように、弦楽合奏を伴わず、数個の旋律楽器と通奏低音だけというものは「室内協奏曲」と呼ばれます。

テレマン/ヴィオラ協奏曲

どれだけ多くの種類の楽器を協奏曲の独奏楽器に起用したかということでは、ヴィヴァルディとテレマンが双璧でしょう。特にテレマンにはヴィオラ・ダ・ガンバやコントラバスといった変わり種まで…このヴィオラ協奏曲もその一つです。

バロック時代の協奏曲で独奏楽器にヴィオラを使用している例では、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番と第6番が有名ですが、これらではヴィオラは複数の独奏楽器の一部です。独奏がヴィオラ1つだけとなると、テレマンの他には、バッハの息子のヨハン・クリスチャン・バッハ、シュターミッツなど、きわめて少数です。その中でもテレマンのこの作品は名曲で、彼の代表作の一つとされています。

テレマンはさまざまな楽器の特徴に精通していて、この曲でも、音域が低く地味な楽器であるヴィオラが、合奏との絶妙なバランスや一度聴いたら忘れられない印象的な楽想を託され、主役の重責(?)を十分に果たしています。

ラモー/抒情悲劇「ダルダニュス」

「ダルダニュス」はギリシャ神話にもとづく、序幕と5幕から成る長大なオペラです。「抒情悲劇」というのは、神話に題材を取った、当時のオペラのスタイルの一つです。

ユピテル(ジュピター)とエレクトラの間に生まれたダルダニュスは、長じて敵国フリギアの王女イフィーズを愛するようになる。イフィーズも密かにダルダニュスに思いを寄せているが、父王トゥセールは隣国の王子アンテノールと同盟を結び、イフィーズとアンテノールを結婚させようとする。ダルダニュスはユピテルに仕える魔術師イスメノールを通じてイフィーズの心中を知るが、フリギアに捕らえられてしまう。ヴェニュース(ヴィーナス)によって救い出されたダルダニュスは、ネプチューン(ポセイドン)が送った海の怪物からアンテノールの命を救う。さらに紆余曲折の末、ヴェニュースのとりなしで和解が成立し、ダルダニュスとイフィーズは結ばれる。

とまあ、バロック時代のオペラはたいていこんな他愛のない内容ですが、フランスのオペラでは歌の合間に多くの舞曲や情景描写の音楽が挿入されました。そして、序曲に続けてこれらの小曲をいくつか選んで演奏したのが、バッハやテレマンの作品で知られる「管弦楽組曲」の起源です。特に、さまざまな楽器の特徴を活かした色彩豊かな管弦楽法を身上とするラモーのオペラは、管弦楽組曲としても大いに楽しめます。

1739年に作曲、初演されたこのオペラは、管弦楽曲が豊富で音楽的には充実していますが、ドラマとしての緊張感には欠けていたようで、1744年の再演時には大幅な変更が加えられ、管弦楽曲もかなり削られてしまいました。本日演奏する楽曲の多くは1739年版から選びました。