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昔々のつい最近、その日は朝から夜だった。どんより曇った日本晴れ。
ミクスチャーバンドのサポートをしていたシュウト(TennorSax)が本来自分がやりたかったSKAをやろうと立ち上がったのであった。
当時彼はピッチと言う言葉すらを知らない…。

01'.7月中旬頃にシュウトがインターネットや張り紙によるメンバー募集を始める。
同時に高校時代の友人タクト(Guiter)に協力してもらい曲作りを始める。
ネットに登録して二日後、
『哀愁の伊達男』タッシュがネットを見て賛同。
「何でも良いからスカをやりたい!」と言ってた。
当時から彼にはキザな匂いがしていたが知り合ったばかりで特に触れなかった。

01'.8月中旬頃、『魅惑のリズムマスター』ドラムのハマさんがネットを見て賛同。
「よぅ分からんけど、オーセンがやりたいんよ。」って言ってた。
当時の彼はロックあがりだったからか、手数が多かった。
とりあえず一度スタジオで顔合わせをし、コピーから活動始める。
(この頃もう一人鍵盤 の可愛い女の子もいたが、数日後脱退。)
数日後、またもネットにて
『技巧派のマスコット』トランペットのサトシが賛同。
「……。」
(初めて会った時はCLUB MILKで会い、周りの音にかき消されてよく聞こえなかった。)
当時から彼はカワイイ雰囲気を出しながらクラブを出入りすると言うギャップを持っていた。
第一回目リハではスカパラのコピーをやってた。オリジナルも同時に始める。
(この頃ベースの男の子がいたがのちに脱退)

01'.9月上旬頃、GoodMannersのシモヘイさんから
『重低音のマエストロ』ショウちゃんを紹介されのちに参入。
「俺、ショウちゃん宜しく!」
その時は音楽の話とかしないで愛称と連絡先しか聞かなかったな。
当時も今も章ちゃんは変わらず章ちゃんだ。初対面からタメ口だった。
数日後、スタジオの張り紙を読んで
『六弦爆撃機』ギターのツトムが参入。
「よろしくぅ」
正直最初なにを話したか覚えてない。わりぃツトム。
当時は今以上にスカをやらせてもギターはロックしていた。
(ツトムの参入によりサポートギタータクト脱退。サンキュ〜)

01'.11月上旬頃、ショウちゃんの紹介により
『盤上の煌めき』ピアノのカンベが参入。
「ラーメン食いてぇ」
ラーメン食ったくらいしか覚えてないな。
当時からヤル気をおもてに見せない男だった。

こうしてRudy7人が
『金色の雄叫びをもつ男』シュウトを中心に結集。
バンド名思案。 「ソウルヘッド」「クラッシャーバンバンキャメル」など
挙がるが最終的に『CAMEL』に決まる。『らくだにはスカを感じる』と誰かが言ったから何となく決まった。

02'.3月22日、三軒茶屋ヘブンズドアにてCAMEL初ライブ敢行!
以来CAMELの活動が急激に動きだした。
初ライブ以降その年に29本ライブをこなし素晴らしき企画者等などに呼ばれてもらえるようになった。
For the シュウト by the シュウト of the シュウトの企画『シュウトtheスカ』も始まる。

翌年03には地方遠征も活発化し各地方でナイスでグッドなレスポンスをソウルフルにかつハートフル受ける。
そして同年。いくつかのオムニバスに参加した後、ついに6月27日にDONA DONA RECORDINGSより単独音源『GANG OF THE SKA!』をリリース!
03年は前年度に増し、年間全国各地でライブを52本敢行!
こうしてノリノリノリノリのまま03年を終えようとしていた年末…そのノリノリは長くは続かなかったのです。
CAMEL忘年会&年間反省会でサトシから重大発言があった。『CAMELを辞めソロとして唄いたい』と。話し合いの末、サトシを盛大に送り出そうと決める。実際はこんなにあっさりな話ではないですが。
明けて04年。数本のライブをこなし、そして一週間で全国7ヶ所回る『勝手気ままなCAMELの一週間ツアー』を敢行。
最終日2月7日渋谷O−nestにてサトシCAMELを卒業。
CAMELは半年間のライブ活動を停める。と同時に新たなTpを探す。
そして同年6月下旬に待望の新トランペット『南海の風雲児』ナオヤが加入。
『呼び名はゴーヤかシーサーでいいです』ってあまり浸透せずナオヤと呼ばれてます。

そして新生CAMELとしての活動が始まり現在にいたります。

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