Buzzcocks Story vol.2

「B'dum B'dum」

1978年1月5日。ユナイテッド・アーティストと契約が決まったバズコックスはオリンピック・スタジオにてアルバム「アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン」のレコーディング作業に入る。1月7日には「No Reply」、「Moving Away From The Pulsebeat」、「Autonomy」のデモ・レコーディングを行なっている。

1月8日。1958年のこの日、ベースのスティーブ・ガーベイが生まれている。

話を1978年に戻そう。1月16日、ITNスタジオにて「What Do I Get?」「Moving Away From The Pulsebeat」のプロモ・ビデオの撮影が行なわれた。プロモ・ビデオとは言っても内容はお粗末なもので、何故かジョン・メイヤーのドラム・セットにギターとベースのコードが繋いであるというもの。「プレイバック」のビデオに収録されているので見た事のある人も多いだろう。さて、プロモ・ビデオの撮影も終わり、バズコックスは1月18日プロデューサーのマーティン・ラシェントと共に「アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン」のミキシング作業に入った。そんな中、1月20日にはシングル「What Do I Get?/Oh Shit!」が発売される。今聞いても素晴しい楽曲だと思うのだがチャートでは何故か最高37位までしか上がらなかった。1月26日からバズコックスはアイルランドへ「What Do I Get?」のプロモート・ツアーに出かけるが3回の内1回はキャンセルになっている。

2月に入るとスティーブ・ディグルは心機一転を計ったのか、中古ではあるがギブソンのレスポール・ギターを購入している。

さて、1月からレコーディングしていたアルバム「アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン」はどうなったのか? 3月3日(ひなまつりね)にようやくリリースとなる。これはアルバム・チャート最高15位を獲得、なんとか人気に火が付き始めたと言う感じだった。そして3月13日、あの有名なロンドンのアビーロード・スタジオで次のシングル「Love You More / Noise Annoys」のレコーディングに入っている。この時「Love You More」は5回、「Noise Annoys」は7回のテイクを録り直している。

4月に入るとだんだんとバズコックスも忙しくなって来る。アルバムが好評だった為に、テレビやラジオでのゲスト・ライブが増えて来るのであった。

8日、スティーブ・ガーベイが「サウンド」誌に取材を受け、10日にはBBCのJohn Peel Showの収録を行なっている。この時ピート・シェリーは「Doner Kebab」「Late For The Train」に曲名変更している。

4月14日アルバム「アナザー・ミュージック・イン・ア・ディファレント・キッチン」からのシングルカット「I Don't Mind/Autonomy」がリリースされる。これは最高55位だった。今ではバズコックスの代表曲に数えられるこの曲も当時はあまり…と言ったところだが、アルバムからのシングルカットというのはこんなところだろう。

10日に続いて17日にもJohn Peel Showのための収録が行なわれる。「Noise Annoys」「Walking Distance」「Late For The Train」の3曲。この時の模様は後にブート「Best In Good Food」収録されているので今でも聞く事が出来る。

そして26日には有名どころ「Top Of The Pops」に出演。(放映は27日)始めての出演にメンバーは興奮する。「すっごく楽しかった!!だって子供の頃から観てた番組に自分が出てるんだから!!」とはスティーブ・ガーベイの談。

さて、波に乗ったバズコックスは5月5日から「Entertaining Friends」と銘打ったプロモート・ツアーに出かける。この時のサポートはペネトレイションである。そしてこの日、なんとピート・シェリーの大事な大事なギター(Gordon Smith serial No.00053)が楽屋から盗まれてしまったのである。貧乏なバンドに取っては痛い出来事だった。たとえ何年か後に遠い日本でのライブで自ら愛用ギターを2本も叩き壊す事になっったとしてもね。(笑)

そんな事件も挟みながら、NMEのインタビューを挟んだり、BBCのKid Jensen Showのための収録(放送は5月29日)などを挟み、ツアーはまだ続いていた。

そして5月19日、ブラッドフォードのSt.George's Hallでサポートバンドとの交代時に起きた喧嘩によって警察が入り、PAの電源が切られてしまったのだ。仕方なくこの日はインストルメンタル・バージョンでライブを決行したのだった。1度でいいから観てみたい気が……。

そしてこのツアーの間を縫って行なわれたのが次のシングル「Love You More / Noise Annoys」の最終ミキシング作業。プロデューサーのマーティン・ラシェントと共にアドビジョン・スタジオに入っている。その後ドラムのジョン・メイヤーが「サウンド」誌の単独インタビューを受け、最も影響を受けたミュージシャンはブラック・サバスだと答えている。さて、事件続きの「Entertaining Friends」ツアーも6月に入るとすぐに終了。この頃ピート・シェリーは後に自分のソロ時代のバックを務める事になるThe Tiller Boysに出会っている。(このThe Tiller Boysについてのページへ)

さて、6月にはツアーもなくバズコックスはTV、雑誌などのプロモーションに精を出している。11日にはATVのRevolverに出演(放映は15日)、17日発売のMNEの表紙にはピート・シェリーが登場している。そして30日には次のシングル「Love You More / Noise Annoys」が発売の予定だったが何故か7月の7日に延期されている。(七夕ね)

7月5日「Top Of The Pops」に出演した彼等は、まだ発売されていないシングルのプロモーションを行なう事になってしまった。

7月7日、やっと発売されたシングル「Love You More / Noise Annoys」をMNEは「これは今まで例を見ない最も現実的でセンチメンタルなラブソングだ」と絶賛したが、あまりチャートには影響なく、34位止まりだった。

さて、あまりフェスティバルに出演しないバズコックスではあったが、7月15日Anti-Nazi Feativalには出演している。この時スティーブ・ディグルはバーミンガムのバンド「Steel Pulse」のライブのアンコールに飛び入り参加、「Klu Klux Klan」を一緒に演奏している。

さて、プロモーションも一段落したバズコックスは17日からマンチェスターのアロー・スタジオに入り、セカンド・アルバムのデモ・レコーディングを開始した。

この日録音したのは「Love Is Lies」「Operators Manual」「Just Lust」「Ever Fallen' In Love?」「Nothing Left」「Sixteen Again」「Raison D'Etre」「Real World」。18日には「Nostalgia」「ESP」「Lipstick」「Promises」「Mother of Turds」をレコーディングしている。

話は変わってバズコックスのデビュー・ギグはLesser Free Trade Hallだったが、この時はボーカルはハワード・ディボート、ベースがスティーブ・ディグルだった。(ライブの模様はブート盤「Razor Cuts」に収録されている) この時のライブの模様がなんとグラナダTVの特番ドキュメンタリー「B'dum B'dum」で放映される事が決定した。このドキュメンタリーは45分間のものでバズコックスとマガジンを扱ったものであった。(放送は7月27日) 別々に撮られたピート・シェリーとハワード・ディボートのインタビューを挟み、マーク・ロバート氏によって8ミリカメラで撮影されたそのライブから「I Can't Control Myself」が放映された。ぜひ日本のファンにも放送して欲しいものだ。

ところでデモ撮りをしていたバズコックスは7月29日、オリンピック・スタジオに入り本格的にセカンド・アルバム「ラブ・バイツ」のレコーディングに入った。最終的にはアルバムに入る事は無かったがスティーブ・ディグルは「Jesus Made Me Feel Guilty」「The Drive System」をデモ録音、そしてジョン・メイヤーと共作の「Mother Of Turds」を録音している。スティーブ・ディグル作の2つの未発表曲は1997年5月発売のトニー・バーバー・プロデュースCD「Chronology」によってようやく陽の目を見る事が決定した。トニー先生の事だから、たぶん「Mother Of Turds」も入っている事でしょう。…と思っていたらやっぱり入っていた。期待を裏切らない人だな、全く。

この「ラブ・バイツ」のレコーディングは翌8月の4日まで続いていたのだが、その間にもラジオの「Round Table」に生出演(8月4日 6:00pm〜7:30pm) したりしていた。11日から16日はアドビジョン・スタジオに場所を移してミキシング作業を行なっている。

「We can't control them!!!」

さて、この年の8月にはバズコックスのレーベル「New Hormones」内に初めてのオフィシャル・ファンクラブ「The Secret Public」が設立されている!!! 素晴しい!!!

乗りに乗ったバズコックスは9月に入ると初のヨーロッパ・ツアーに繰り出している。廻ったのは、オランダ、アムステルダム、ベルギー、ロッテンダムである。9月8日に帰って来たバズコックスを迎えたのはシングル「Ever Fallen In Love?/Just Lust」の発売であった。「これがポップ・クラシックの持つ力の全てだ!!」とMNEに誉めたたえられたのが効いたのかチャートを12位まで駆け上っている。私も「Ever Fallen In Love?」は唯一無比の世界最強のラブ・ソングだと思うのだっ!!!皆もそう???(涙)

…涙してても仕方ない。9月22日、「ラブ・バイツ」は発売となっている。

またしてもMNE、メロディ・メイカー誌の絶賛を受けてアルバムチャートは13位を付けたのだった。この「ラブ・バイツ」のプロモート・ツアーは「Beating Hearts」と名付けられサポートにサブウェイ・セクトを迎えて行なわれた。さて、このツアーでは事件が起きているのだった。まず10月1日、オックスフォードのニュー・シアターでは50人のスキンヘッズが押し合いへし合いの大暴れで会場側はピート・シェリーに警備を雇う様に警告したのだが……彼はこう叫んだのだった。「We can't control them!!!」

2つ目は11月に入ってからの事。11月8日ブライトンのトップ・ランクでのライブチケット2000枚ソールドアウトという状況の中、最後の曲が終わった途端に暴動を起こしたのだ。ビンや缶が乱れ飛び、ステージに駆け上がったファンによってジョン・メイヤーのドラムセットは破壊され、ピート・シェリーのアンプは盗まれ、スティーブ・ガーベイのアンプは多大なダメージを受け、他の2つのアンプもステージから投げられてしまった。何人かの観客がバズコックスがアンコールを演ってくれないと勘違いした事が引き金となった様だ。まったく迷惑というか子供というか…。

この暴動によって受けた被害総額は何と1500ポンドと言うから、頭が痛い。この日窃盗で4人が会場から警察に連行されている。人気バンドにはそれなりのリスクも付いて廻るという証拠か。

11月11日付けのNMEでは「バズコックスは2年後にはトップの座に付くだろう」とハマースミス・オデオンのライブ・レビューで書いている。

この暴動続きのまさしくその名の通りとなった「Beating Hearts」ツアーも11月12日、マンチェスターのアポロ・シアターにて幕を閉じた。

その後バズコックスは17日に7枚目のシングル「Promises/Lipstick」をリリース。しかしチャートは20位止まりであった。世の中どこを探したってこんなに胸が痛く熱くなる曲があるか? チャートなんて信じられない!!と、私は思うのだった。

さて、12月2日のMNE誌。「Thrills」コラムページでのピート・シェリー・インタビュー。これの見出し部分がすごい。

「Why I Never Comb My Hair!」(なぜ僕は髪をとかさないのか!?) いったい何故いつも寝癖なのか私にも教えて欲しいものだ。

まあ、それはそれとしてこの年最後のMNEに免じて(?)許してあげよう。「Vinyl Finals」に置いてバズコックスは「Ever Fallen In Love?」がNo.1 Single Of The Yearを獲得!!!「What Do I Get?」が19位、アルバム部門では「Another Music In A Different Kitchen」が25位を付け、1978年を締めくくったのであった。

Buzzcocks story vol.2 (1978) End


注意・このストーリーを転記する場合は必ず確認を取ってからにして下さい。
Kartz


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