BIOGRAPHY

藤田浩一(ふじた こういち)

株式会社トライアングルプロダクション 株式会社バミューダ音楽出版
社長兼プロデューサー

1967年、GSのアウトキャストのメンバー(リズム・ギター)としてデビュー。作詞・作曲を手掛け、'69年にはザ・ラブを結成し、リード・ギターを務める。
その後、音楽事務所「トライアングル・プロダクション」を設立し、プロデューサー業を本格的に始める。
レイジー、角松敏生をプロデュースした後、 '83年4月に『杉山清貴&オメガトライブ』、84年に菊池桃子をデビューさせる。
作曲家に林哲司、作詞家に康珍化を起用し、自身はサウンドプロデュース・最終アレンジ、ジャケットデザインなどすべての工程に関与、夏、海、リゾートを感じさせるさわやかな楽曲は、オメガサウンドと呼ばれ、年代を問わず多くの支持を集めた。当時のスタッフに聞いた話ではレコーディングが終了した深夜2時以降は藤田タイムと呼ばれ、藤田氏が音源と共にドライブへ出掛け戻ってくるまで電源は落とせず、戻ってきた後で再びレコーディングがはじまる事も多々あったようであり、氏のサウンドに対する情熱・こだわりは相当なものであった。それこそが今なお多くのファンを惹きつける源泉であると言えよう。
(他にプロデュースした菊池桃子が8週連続1位を獲得するなどその勢いは止まることを知らず、藤田浩一氏のプロデュース作品を総称してトライアングル・サウンドと呼ばれる)

'85年12月
、杉山清貴&オメガトライブ解散後、カルロストシキをボーカルに抜擢し、1986オメガトライブを結成。作曲家に和泉常寛、作詞家に売野雅男、アレンジャー兼サウンドプロデュースに新川博を起用。
デビューシングル「君は1000%」はいきなりの大ヒットとなり、再びオメガ旋風を巻き起こした。'88年には サイドボーカルにジョーイマッコイを加え、カルロストシキ&オメガトライブに改名。アース・ウィンド・ファイヤー、ナイトフライトなど多重ボーカルの冴える洋楽志向に流れを変えていく。シングル「アクアマリンのままでいて」はドラマ「抱きしめたい」主題歌としてヒットとなり、その地位を確固たるものとした。
'91年3月にオメガトライブ解散。その後は'93年に新井正人をボーカルとするBRAND NEW OMEGA TRIBEを結成。杉山清貴&オメガトライブの名曲「Alone Again」のリメイク版は93年当時できうるオメガトウンドの粋が刻まれる素晴らしい仕上がりである。
'95年以降、藤田氏はプロデュース業を休止しているが近年3大プロデュース・アーチストのボックスが発売になるなど、そのサウンドはいまなお多くのファンに愛され続けている。
'02年3月6日、杉山清貴&オメガトライブ コンプリートボックス発売。
'03年3月3日、菊池桃子 プレミアム・コレクション LEGEND 発売。
'03年6月25日、菊池桃子菊池桃子プレミアム・コレクション BRAND 発売。
'05年3月9日、カルロス・トシキ&オメガトライブ コンプリートボックス発売。