外見と性格

外見
+体格+
ベートーヴェンは背は低いががっしりとした体格の持ち主。
肖像を見ていくと、30歳代の初め頃までは痩せていたと見られる。
全ての肖像や版画などを見ていくと、どれも共通するのが、
広い額と太い眉、その下の刺すような茶色の瞳など、
顔の特徴が驚く程似ている。
赤らいでいる顔は、少年時代に患った天然痘の跡が見られ、口元はへの字にきりっと下がっている。
顎は後年になるにつれ、溝がある。
上でも述べた通り、ベートーヴェンは30代の前半でのファッションはエレガンツな流行に沿ったもので、
その服装は30代後半になるにつれ、変化が見られる。


初めてベートーヴェンに会ったのは、私がまだ少年の頃である。
1804年か1805年の事であったかもしれない。
・・・その当時のベートーヴェンはまだ痩せて暗い感じで、服装は後年とは違って
エレガントであった。・・・その1、2年後、私は両親と共にヴィーン近郊のハイリゲンシュタットに
住んでいた。私達の家は庭に面しており、またベートーヴェンは通りに面した部屋を借りていた。
・・・・私の兄弟も私も、体格は逞しいが、一方全く無頓着なだらしない身なりで歩き回る
この奇妙な人物を、気にもとめなくなった。

1823年 フランツ・グリルパルツァー (sonneck,1967)


・・・巨大な浴用のたらいが置かれていて、巨匠はその中で逞しい胸を洗っていた。
私は彼の素晴らしい筋肉の作りと頑健な体躯を見る機会を得た。
その体躯から判断すると、この作曲家はメトセラ(*《創世記》に登場する969歳まで生きた人物)
ほども長生きを期待できるかもしれない。
この屈強な者をやみくもに打ち倒すには、きわめて強い敵意をもった有力者を要するに違いない

1806年 ヨーゼフ・アウグスト・レッケル (sonneck,1967)


二人の人物が残した記録から見ても、ベートーヴェンのその体格はかなりがっしりとしたものと見られる。
+トンガリ帽子でレッスンをしに来るベートーヴェン?+

また、もう一つ面白い記録も残っている。

バルバラの向かいに住んでいたので、彼は気まぐれでガウンとスリッパ、とんがったナイトキャップを
身に付けた姿で、彼女にレッスンをしにやってきた―――これはある奇行のうちの一つである。

ケグレヴィチ伯爵(Landon,1974)

こう残したのは、ベートーヴェンの弟子、オデスカルキ伯爵夫人バルバラの甥のゲグレヴィチ伯爵だ。
とんがったナイトキャップとは所謂、あのサンタさんが身に付ける帽子のような形をした、夜寝る時に被る帽子である(笑)
このような記録から、彼の洋服への無頓着さと、可愛らしさが分かる(笑)

+散歩をするベートーヴェンの姿+

ベートーヴェンの散歩する姿は、人目を引いて有名だったらしい。
この頃に書かれた散歩するベートーヴェンの数多くのスケッチは、どれもコートの襟を立てゆっくり歩き、
ステッキを振るか、両手をしっかりと後ろに組み、ずんぐりとした容姿をしている。
ゲルハルト・フォン・ブロイニングによれば、屋外のベートーヴェンは人目を引き、
『いつも考え込んでは鼻歌を歌い、しばしば両手で身振りを交えながらひとりで散歩していた』
(Landon,1974)
と書かれている。
また、ベートーヴェンがいつもポケットにスケッチ帳を携え、楽想が思い浮かぶと立ち止まってはそれを書きとめていたのは有名な話である。


散歩するベートーヴェン

性格
+振舞い・性格+

ベートーヴェンの振舞いはいつもぎこちなかったらしい。

ベートーヴェンはきわめてぎこちなく、不器用に振舞った。
動作もぶざまで優雅さのかけらも無かった。彼が何か物を手に取ろうとすると、ほとんど決まって落とすか壊すかした。
どんな物もみなぶつけられた跡があり、汚れて、壊れていた。
しばしば頬に作った切り傷の事を考えただけでも、どうしたら何とか顔を剃る事ができるのか、
彼には理解し難いほど難しいことなのである。
要するに彼は、
音楽にあわせて踊れるようには決してなれなかったのである。
フェルナンディナント・リース(Wegeler,1987)

+矛盾な性格+

ベートーヴェンの性格は矛盾で満ちていた』とさえ書かれてしまうほどの彼だが、
かなり気性が荒く、お調子者だったのには違いは無かったと見られる。
ことのほか親切かと思うと、突然厳しく冷酷になったり、気難しいと思うと威勢がよくなり、子供じみたユーモアがあったらしい。
彼の矛盾は、手紙でも残されている。

『もう私のところには来ないでくれ!君は不実なやくざ者だ。願わくば死刑執行人よ、こういった連中をみな縛り首に
してしまってくれ!』


そしてこの手紙の直後の手紙

『わが心より愛する可愛いイグナーツよ!貴方は誠実な人だ。私は今貴方が正しいことがわかった。
・・・太っちょこと、貴方のベートーヴェンより口付けを』

(二通ともヨハン・ネーポムク・フンメル宛てたベートーヴェンからの手紙より)


私の愛すべきベートーヴェンは、このようにかなり可愛い性格である。(笑)
ハッキリ言って、物凄い可愛らしい。ベートーヴェンのユーモラスな部分は、手紙だけでなく、曲名などにも現れている。
カノンや、合唱曲などの曲名に、『でぶっちょちゃんお顔を見せて』など、私にはベートーヴェンがよく『でぶっちょ』と言う
言葉を好んで使っているように見える(笑)(その他作品リスト参考のこと)
+若かりし頃の性格+

また、若かりし頃のベートーヴェンは遠慮が無い性格だったらしい。
強情で自尊心が強く、自分の意にそぐわない事は、決して進んで従おうとはしなかった。
フェルナンディナント・リースが、こう記している。また、友人で、四曲ほど曲を献呈している、
リヒノフスキー侯爵にも次のように主張するほどである。

ベートーヴェンは礼儀作法やそれらが意味することについて、てんで勝手が分からなかった。
彼はこうした事柄には全く関心が無かったのだ』

フェルナンディナント・リース(Wegeler,1987)

侯爵よ、貴方が現在あるのは、たまたま生まれがそうだったからに過ぎない。
私が現在あるのは、私自身の努力によってなのだ。
これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多くの生まれるだろう。
でも、ベートーヴェンはたった一人しか居ないのだ!

リヒノフスキー侯爵に口論の後宛てたベートーヴェンからの手紙(Kerst,1964)


+病気の影響+

ベートーヴェンが
耳の病気を患うようになると、そのネガティブな部分が前面に出るようになる。
この事は、『病気、死』のページにて触れるが、病気によって彼の振る舞いや、性格も大きく影響されていく事になる。
コミュニケーションが取れないという事が、彼を内気にさせた。
音楽家のベートーヴェンとしてだけでなく、
友人との関わりや思想の交換を重んじた彼にも、由々しい影響を及ぼした。
彼は文通に頼るようになり、何日も返信がもらえないと、意気消沈してしまっていたらしい。

ベートーヴェンが産まれたのは18世紀のドイツ。
この頃の流行はよく絵画などで見る事の出来るエレンガンツな恰好などだったらしい。
後期になるにつれ、服装にも気を使わなくなったと見れる。

ベートーヴェンの容姿は、残された数多くの肖像がやデッサンなどで安易に想像が付く事だろうと思う。
名声の高まりと共に、1800年ごろから画家達の間で人気の題材にされ、
後世に正確な彼の印象や表情、振る舞いに体型などを伝えている。