2001年2月



2月28日(水)  せめて見てくれだけでも・・・

というわけで、当ウェッブのデザインを少しいじってみました。これまではなるべく軽くということで、画像はなるだけ使わず、タグも最小限に留めてそれもエディターで手書きという方針でしたが、なんかもうそんな時代ではないみたいだし。

で、いろいろいじってみると、これがなかなか楽しいんだなー。もちろん私にデザインの才能があるなどとはこれっぽっちも思っていませんが、なんであれやっぱり見た目が大事。

作業の間、「Baby! 恋にKnock Out!」「ワルツ!アヒルが3羽」をエンドレスで聞いています。決して良い曲という感じではないと思うのだけど、どんどんはまっていきますね。後藤さんも吉澤さんもこんなに歌うまかったっけ?のりのりでヴィジュアルがとても楽しみになってきました。



2月26日(月)  タンポポ”恋をしちゃいました”の葛藤

ずっと悩んでいた。ま、私が悩んでも何がどうなるわけでもないのだが、タンポポの新曲”恋をしちゃいました”なのである。確かにイイ曲である。しかし・・・なのだ。確かにあいださんの詳細な解説には十分に頷けるものがある。その通りだとも思うのだが、正直なところ私の感覚は、この曲に対し不満を訴えるのだ。どうにも煮え切らない中、ビジュアルを確認したうえでということでミュージック・ステーションを待つことにした。

でもって今日である。悩みはさらに深まってしまい、意見表明をできないままさらに先送りという、実に日本人らしい態度を採らざるを得ない羽目に陥ってしまった。うーん困った、なのである。

実際のところ、ミュージック・ステーションでの印象は大変良かった。ビジュアルが加わることで確かに好感度はアップした。しかし、やはり当初からの不満は解消されないまま残ってしまうのだ。みんあみさんのレビューに、多少とも共通する思いが表現されているかと思うのだが、なんか攻める姿勢が見られない、はみ出しているものがない、蕩尽されるべき無駄な部分がない、一言で表現するのは難しいが、要するにアイドルポップとしての王道になり過ぎているように感じられるのだ。

別に奇を衒えと言うつもりはない。ただ、娘。そして娘。の曲に共通する過剰さこそが娘。(タンポポ)の醍醐味なのだという立場からは、この曲はおとなしすぎる、きれいすぎる、そのように思われるのだ。別の表現をすれば、この曲は娘。(タンポポ)が歌う必然性が乏しいとも言えようか。

前作「乙女 パスタに感動」の過剰な部分、すなわち歌詞の緊張感、凝りに凝ったアレンジとメロディ、そしてそのハイレベルを受けとめきれずにプレゼンテーションに支障を来すタンポポという、ある意味、実に娘。(タンポポ)的状況から、これらを拭い去ってさらに完成度を高めた作品、私は「恋をしちゃいました」をそのように捉える。

完成度を高めて何が悪いと思われるかもしれないが、結果的にプラスαの想像(妄想)の余地も減少してしまうことになる。例えば類例(と私は考える)として「ふるさと」と比較してみる。「ふるさと」も完成度の高い、過剰のない洗練された名曲だと思うが、この曲には安倍さんの姿が透かし彫りになっており、それが想像(妄想)の余地を十分すぎるほど与えてくれていた。

「恋しちゃいました」ではどうか?タンポポというグループで歌う曲である以上、「ふるさと」のような強固なイメージは形成し難いのではなかろうか。もちろん、4人の誰か一押しのファンなら、特定の一人をイメージすることで、想像(妄想)という過剰を得ることができるかも知れないが、濃いファンでなければ難しいのではないか。いや、もう少しファンの神経を逆なでしてみよう、安倍さんほどのアイドル性をもってしても「ふるさと」は売れなかった。市場は馬鹿ではないのだ。



とま、言葉が過ぎたかもしれませんが所詮戯言ということで。更新できなくてすみません。いつの間にかカウンターが1000を越えてました。見に来てくれてる方、ありがとうございます。でもって、1000番は私が踏みましたとさ(笑)。



2月2日(金)  EE JUMP "HELLO!新しい私"、そして浜崎あゆみ"LOVE_destiny_"

EE JUMPの"HELLO!新しい私"をレンタルしてきた。この曲、当初はあまり関心を引かれなかったのだが、あいださんの指摘を受けて聞き直してみて、そのままどんどんはまってしまったのだ。でもやっぱり娘。みたいにCD売り上げに参加して選挙結果(=チャート)に一喜一憂するみたいな楽しみ方には至らず、レンタルである。このあたり、EE JUMP、まだまだかな。

曲の感想はというと、あいださんとあまり代わり映えしないのだが、以前取り上げた"TOUCH ME"と同じ香りと表現すればいいのだろうか、若いEE JUMPに歌わせている分、洗練されてはいるだろうが、やはり孤独が基調に漂っているように思う。その「孤独」は、肥大した自我が保身のために陥る「孤独」とはまったく性質の異なった、近代自我として現実世界に対して誠実であるが故に引き受けざるを得ない「孤独」である。

近代人として誠実であるということ、正面からこの残酷な世界を引き受ける勇気のけなげさというのは、その困難さたるもの、かのニーチェを引き合いに出すまでもないだろう、ただただつんくという人物を、私は尊敬するしかない。ちなみに私、シャ乱Q時代をほとんど知らないまま、こんなことを書いているのだ。今後の課題かな。



EE JUMPのついでといってはなんだが、ずっと懸案にしてきた浜崎あゆみの"LOVE_destiny_"も借りてきた。かつてとあるところでたまたま耳にして、イイ曲だなと思って、で、つんくという名前にそれまでとは違った関心を引かれた、そんな曲である。

でも、改めてCDで聞いてみて、これは失敗作なんじゃないか、そう私には思われてきた。別に非難とかではないのだが、つんくの持ち味である誠実さ、涙を隠した孤独の叫びが仇となっているように聞こえるのだ。浜崎あゆみという存在は、恐らくつんくの対極にして表裏関係のような立ち位置なのだろう、結果的にそれがdestinyでは空回り、since1999では衝突となって現れ、せっかくの素晴らしい曲を台無しにしているように感じられるのだ。

もちろん、これは私が勝手にそう感じるということであって、いろんな意見、いろんな感覚があるとは思う。けれども、それなりに売れたであろうこのコラボレートが、その後続いていない背景には、制作サイドでも失敗という判断があったのではなかろうか。

現在の浜崎あゆみは、もうちょっと巧妙になっているというか、"LOVE_destiny_"のような薄化粧では歌っていないように思われ、浜崎あゆみをウオッチする視点からは、これはこれでオモシロイ作品にはなっているとは思う。というか、浜崎あゆみの曲である以上、当然なのだろうが、つんく色が圧殺され、浜崎あゆみが押し通されている、そう表現するべきかも知れない。

私があゆに関心を引かれない、その理由を浮き彫りにしてくれている作品、そのように受け取ることにしようか。でもやっぱりイイ曲だなあ。





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