「お外でお歌!allspice的アウトドアの勧め−by にしくぼん

第7回 悪夢。2003.1.26)

少し前だが、ハチ北(兵庫)にスノボー旅行に行った。
愛媛からはみふぃた、ひろ→、ELLEの4人、広島からはNomy、なかちゃん(元SS)、ヨースケ(All at once)など、総勢12人の大所帯。

いやー、ハチ北って広いねー! ちゅうか愛媛のスキー場が狭いだけのか!?
とにかく、ゲレンデの幅、長さ、数など、何を比べてもカルチャーショック!
1泊2日の旅を思いっきり満喫した我々であった。

しかし、真のドラマは帰路、繰り広げられたのである。

松山からハチ北へ4時間半で着いてしまった我々松山隊。
帰りも同じくらいかかると踏んで、7時くらいに帰り着く予定で2時半ころ、ハチ北を出発した。
「7時に松山に着いたら鍋でもしよーか、ヨースケ君。最終便で広島に帰れるよ」と言いながら、普通に拉致したひとりを加え、車内は5人。
鍋の主役・ズワイガニを買ったりしながら、のんびりと車を走らせていた。

ドラマの幕開けは瀬戸大橋。
四国地方を近年にない大寒波が襲っているとは聞いていたが、橋を渡る前の電光掲示板を見ると、「風速13m」とある。
「危ないねー。15mを超えると通行止めなんだよなー」などとくっちゃべりながら橋に入り、ひとつ目の掲示板には「風速16m」。
後ろには車はいない。間一髪で滑り込んでいたのであった。
ほっとしたのもつかの間、前を走るトラックが、あり得ない角度にまで傾き、揺れている。
リコール前のベンツなら完璧に転がっている角度だ。
ひろ→ご自慢のX−TRAILも、風に遊ばれるがままに蛇行。
「死にたくないねー。車間とろーね。スピードもダウンだよー。よそ見するなよー」と、努めて冷静を装いながら、びびってたにしくぼんであった。

まずは危機を脱し、ほっとしていた我々だったが、高速道路凍結で通行止めのため、国道に下りてからがホントの悲劇だった。
松山まで目鼻の先の「桜三里」という峠に差し掛かるころ、ふと目の前に車の列が飛び込んできた。渋滞っちゅうヤツである。
「この先、信号ないよなー。事故か!?」なんて悠長なことを言う余裕があるうちはまだよかったが、10分、20分経っても、車はほとんど動かない。
コーナーを曲がるたび、次のコーナーまで続くブレーキランプの列にどんどん不安が募り、松山に電話。
「桜三里、大雪で事故&立ち往生が多くて大渋滞だってー。え?引っ掛かってんの? はっはっはー。頑張ってねー」というご報告と励ましのお言葉を頂き、絶望の淵へと叩き落された。
「こっちは、四輪駆動にスタッドレスタイヤ、しかもチェーンも携帯しているのに、みんな何しよんじゃー、ボケー」と思ってみても後の祭り。
道路脇には、放置車、事故車、JAF車がざっくざく。特にJAF。もう稼ぎ時。
日本中のJAF車が終結したのか!?と思わせるほどの繁盛振りだった。
結局、最初の5qを進むのに何と3時間。桜三里を抜けるのには5時間も掛かった。
5時間あれば、高橋尚子なら100q近く走るし、カール・ルイスにいたっては180qも走る。
スノボー履いて滑り降りたほうがよっぽど速いじゃん、と思って拉致被害者ヨースケに勧めたが、何故かやってくれなかった。

1つだけいいことがあった。
5人みんな、しりとりのプロになった。
全行程11時間半。車内では語るべき話題もなくなり、止むを得ずしりとり大会が延々と繰り広げられたのだ。
3文字限定、食べ物限定、外来語限定など、さまざまなオプションルールにも対応できるプロしりとり集団となった我々にかなう者は、もはやいない。

さて、最後に悲劇をいくつか。
ひろ→の車は、カニの香りだらけとなった。彼の車はトランクルームが座席と分かれていないので、当然の結果である。
かなり初期からそのことには気付いていたが、みな、彼の車よりカニを優先したことは、言うまでもない。
我が家でカニ鍋待ちをしていた人々(8時開始の予定で準備して待機)は、我々が午前1時半に帰り着いたときには、酔っ払い集団と化していた。
彼らが準備していた鍋&具を用いて、我々が朝の7時までやけくそ宴会を繰り広げたのは、当然のことである。
最終便で広島へ帰るつもりだったヨースケは、もちろん始発便で広島へと帰っていった。松山までかかった時間11時間半、そして滞在時間はわずか7時間・・・。ご愁傷様。
そして、にしくぼん、みふぃた、ELLE、ひろ→。あのロングドライブの後で朝まで飲み続けた我々。若いねー。
特にひろ→。朝っぱらから、ヨースケを港へ、ELLEを千舟町へ、そしてみふぃたを豪雪に阻まれつつ重信へ。
帰り着いたのは午前10時を過ぎていたという。安らかに眠れ・・・。