去年の秋の塩次伸二さんに続いて忌野清志郎さんまで・・・やっぱりショックです。
昨日5月2日夜、くにやんから清志郎さん急死のMAILをもらって、思わず店の中で声上げました。
店の中にいた人はほとんど知らなかったからみんなびっくり。
お二人とも57, 58 誰がどう考えても早すぎる死だよ。
日本の音楽の中で本当に大切な宝物が消えたのはさみしく悲しいことです。
なんか今日はテレビ見る気がしない。

塩次さんはCAFE POOH時代に2度、LIVEに来ていただいて、リハとライブ前、ライブ中の
すざましいほどの緊張感と、LIVE後のうちあげの時のものすごく気さくなおしゃべり(食べることも?)好きな
人柄の違い?をいまだに覚えてる。
初めてお会いしてあいさつをして握手をした時も、笑顔さえなく怖い印象だった。
握手をした時にオレより手が小さかったのも覚えてる。
打ち上げではオレの隣でしゃべりまくってた。「オレは記憶力がずば抜けてええからソロのパターンとか
何万通りも頭の中にはいってんのや、それを弾いてるだけやで」っていう言葉も覚えてる。
一度、Blues Sessionのスペシャルゲストで来てもらおうとして失礼なお願いをしたこともある。
「あんまり、そういうのはやらんなぁ、また、自分のバンドでLIVEやりに行くわ」と言われ
本当に失礼をしてしまった。またいつか来ていただける時に、絶対にあやまんなきゃ、と思ってて
結局、もう謝ることも、来てもらうこともできんくなってしまった。

清志郎さんは、直接会ったことはないけど、時代としてはRCサクセションはデビューがオンタイムだから
ずっと聞いてるし見てる。LIVEは泉谷しげると三宅伸治とやってた「スパイスマーケット」に一度行った。
初めて階段の下からの行列に並んで入った満員のライブハウスで、立ち見で、
ステージの端から端を走りまわる清志郎さんと三宅さんを見て「ミックとキースや」と思った。
前からオレがハムスターズやかりびあんずのLIVEで言ってる「このバンドはフジロックに出るためにやってます」
みたいな(これもまた失礼な???)MCもほじってみれば清志郎さんへのあこがれみたいなもの。
たまたま、清志郎さんの相棒の三宅伸治さんは何年も前から何度もうちの店にLIVEに来てくれてるので
冗談で一度「清志郎さんもいつか・・」って(これもまた失礼なことを) 言ってしまったこともある。
でも何があるかわからないこの世の中、清志郎さん来店はまったくあり得ないことではないと
思っていた(苦笑)  これも結局現実になることはなくなってしまったけれど・・・

お二人とも無二の才能と技術とハートと魂を持った貴重なプレイヤー、アーティストだし(あえて過去形ではなく)
ホントに数えきれないファンや関係者が、頼りにし、励みにし、目標にし、刺激や興奮や
喜びや安堵や癒しをたくさんもらってると思う。
昨日かりびあんずの18歳の新メンバー君が「中学校の時にRCやってました」って言ってたのにも
あらわれているし、アストロサノッツのさのっちの息子(19歳)が号泣しながら電話をしてきたというのも
納得できる。だいぶ前に近所のCDショップで忌野清志郎の名前のわからない若い店員にキレそうになったことが
あるので、昨日は、さすがうちの関係者、その歳で、えらい、と、嬉しくもなった。
天国で清志郎さんと塩次さんとセッションでもやれるといいなぁ
あ、清志郎さんの再入院後、腰とか骨とか転移してたって話を聞いて、もQのことも思い出したから
できたら、もQも、セッションメンバーに入れてもらえるといいなぁ・・・・

好きなこと書きましたが、まだなんか重い溜息がでます。
残念でなりません。心からご冥福を祈ります。    POOH 2009 5 3

p.s. 三宅さん、ボスの分まで頑張り続けてください!!!!