ALIVEの歴史は古くもないが新しくもない - 第一話

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今から10年以上も前、ディスクユニオンがまだアバンという名だった頃、アライブの店長の髪はまだ長かった。凄く。
当時私は高校生で、学校の帰りにいつもアバンのエスカレーターを下っていく様な学生生活を送っていた。今のユニオンと違って、新しく入ってきた中古CDは細かいジャンル別に陳列されてはいないし、特価のレコードなど段ボール箱に詰められてそのまま床に置かれていたりと、割りとドンキホーテを彷佛させるような佇まいだったと思う。
私はそういった所から自分なりのお宝を探すのが大好きだった。親の財布からコツコツと盗んだお金は、大抵ハードコアパンクのレコードやCDに変わっていった。そして店の出口の上りエスカレーター手前に有る、フライヤーコーナーを見るのも楽しみの一つだった。バンドのメンバー募集や、ライブ告知などを隈無く見ては家路に着く毎日。それなりに充実していた。
 ある日いつもと同じくフライヤーを眺めていると、一枚のメンバー募集の1行がどうしても気になる。彼らはギターとベース。探しているのはボーカルとドラム。私はそれまで遊びでコピーバンドをやっていたぐらいで、コンスタントな活動をするようなバンドに属したことは無い。彼らがどういうスタンスでやりたいのかも分からない。しかし、直感でこの人達に電話しなければ!みたいなモノに駆られていた。 次の日だったか忘れたが、一人だと心細いので、以前、一緒にコピーバンドをやったことが有る岡田邦晴(クニ)と言う小学校からの友人を誘い、「ほら、プルータルトゥルース好きだって!電話しようよ。」と言い、公衆電話の受話器を上げたのがヌンチャクと言うバンドの始まりだった。
 彼らとは、その日のうちにステーションモールの前で会い、こちらがツインポーカルでやりたいのと(一人だと休めないから)、ドラムは私の知り合いで良いのが居るんだけど、大学受験が控えてるからそれが終わるまで曲を作ろう。といったような旨を伝えると、彼らは快く応じてくれた。
 二人とも年は私達よりも—つ下で、ベースは小島淳(あっちゃん)、ギターは溝口カズノリ(ゴメン、漢字忘れた。ゴッチン)と名乗った。確か、あっちゃんはスレイヤーのプリントが施してある、七部丈のスウェットパンツを履いていた。ゴッチンはソウルのTシャツ。二人共、私達の事を以前から知っていたようで、彼らがこっちの顔を見た時「ン?アア、アレかよ。勘弁してよ」みたいな頗をしていたのを覚えている(後から聞いた話だが、クニの友達が電車の中であっちゃんをカツアゲしたらしい。クニはそれを後ろでニヤケながら見ていたらしい。余談だけど、良い話なので)。  一時間ほど御互いの事を話し、なかなか良い具合に盛り上がり、後日スタジオに入る約束をしてその日は別れた。天王合駅でクニとも別れ、駐輪上で一人。「バンドを組む。俺が。」という、喜びとも興奮とも言えないゾクゾクした気持ちが駆け巡っていた。

今から十年以上も前の話し。アライブの店長の髪は長かった。髭も。つづく


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