ひふみ神示


祝詞・その他


第二巻  下つ巻(四百つまき)


第七帖 (四九)
 この神示(ふで)読んでうれしかったら、人に知らしてやれよ、しかし無理には引張って呉れるなよ。この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ。天津祝詞の神ともこの方申すぞ。



第七巻 日の出の巻 / (のてのまキ)


第十五帖 (二二八)
 十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。十二月十八日、ひつ九か三。




第十巻 水の巻 / (三のキ)


  第二帖 (二七六)
 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そをたはくめか、うおえ、にさりへて、のますあせゑほれけ。一二三祝詞(ひふみのりと)であるぞ。たかあまはらに、かむつまります、かむろぎ、かむろみのみこともちて、すめみおや かむいざなぎのみこと、つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに、みそぎはらひたまふときに、なりませる、はらえとのおほかみたち、もろもろのまがことつみけがれを、はらえたまへ きよめたまへと まおすことのよしを、あまつかみ、くにつかみ、やほよろづのかみたちともに、あめのふちこまの、みみふりたてて きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。あめのひつくのかみ、まもりたまへ さちはへたまへ、あめのひつくのかみ、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九十(ヒトフタミヨイツムユナナヤココノタリ)。旧三月十日、三のひつ九か三。


第三帖 (二七七)
 神の子は神としての自分養ふことも、つとめの一つであるぞ。取違ひすると大層な事になるから、気つけておくぞ。書かしてある御神名は御神体として祭りてもよく、お肌守としてもよいぞ、皆に多く分けてやれよ。御神名いくらでも書かすぞ、その用意しておいてくれよ、神急ぐぞ。祓え祝詞書き知らすぞ。 
 かけまくもかしこき、いざなぎのおほかみ、つくしのひむかの、たちばなのおとのあはぎはらに、みそぎはらえたまふときになりませる、つきたつふなどのかみ、みちのなかちはのかみ、ときおかしのかみ、わつらひのうしのかみ、ちまたのかみ、あきくひのうしのかみ、おきさかるのかみ、おきつなぎさびこのかみ、おきつかひへらのかみ、へさかるのかみ、へつなぎさひこのかみ、へつかひへらのかみ、やそまがつひのかみ、おほまがつひのかみ、かむなほひのかみ、おほなほひのかみ、いづのめのかみ、そこつわたつみのかみ、そこつつのおのかみ、なかつわたつみのかみ、なかつつのおのみこと、うわつわたつみのかみ、うわつつのおのみこと、はらえと四はしらのかみたちともに、もろもろのまがこと、つみけがれをはらえたまへ、きよめたまへとまおすことを、きこしめせと、かしこみかしこみもまおす。
 
次に「うけひ」の言葉しらすぞ。
 ご三たいのおほかみさま、ご三たいのおほかみさま、ひつきのおほかみさま、くにとこたちのおほかみさま、とよくもぬのおほかみさま、つきのおほかみさま、すさなるのおほかみさま、あめのかみさま、かぜのかみさま、いわのかみさま、キのかみさま、かねのかみさま、ひのかみさま、ひのでのかみさま、りゅうぐうのおとひめさま、やほよろづのいきかみさま、ことにいすずにます、てんしょうこうだいじんぐうさま、とようけのおほかみさまをはじめたてまつり、よのなかのいきかみさま、うぶすなのおほかみさまのおんまへに、ひろきあつきごしゅごのほど、ありがたく、とうとく、おんれいもうしあげます。このたびのいわとひらきには、千万いやさかのおはたらき、ねがひあげます。あめつちのむた、いやさかに、さかへまさしめたまひ、せかいのありとあるしんみん、ひとひもはやく、かいしんいたしまして、おほかみさまのみむねにそひまつり、おほかみさまのみこころのまにまに、かみくに、じょうじゅのため、はたらきますよう、おまもりくださいませ、そのため、このたま、このみは、なにとぞ、いかようにでも、おつかひくださいませ、みむねのまにまに、まことのかみくにのみたみとしてのつとめを、つとめさしていただくよう、むちうち、ごしゅごくださいませ、かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。

 次に御先祖様の拝詞しらすぞ。
 此の祖霊宮に(コレのミタマヤに)
神鎮まり坐す(カミシヅまりマす)。
遠津祖神(トオツミオヤノカミ)、
代々の祖霊神達の御前(ヨヨのオヤのミマエ)、
また親族家族の(またウカラヤカラの)
霊祖神の御前に(ミタマのオンマエに)
謹み敬ひも白す(ツツシみイヤマひマオす)。
此の家内には(コレのウチには)
諸々の曲事(モロモロのマガコト)、
罪穢あらしめず(ツミケガレあらしめず)、
夜の護り(ヨのマモり)、
日の守りに(ヒのマモりに)
守り幸はひ給ひ(マモりサキはひタマひ)、
まこと神国のみ民としての(まことカミクニのみタミとしての)
義務を全うせしめ給へ(ツトメをマットうせしめタマへ)、
夜の護り(ヨのマモり)
日の守りに守り(ヒのマモりにマモり)、
捧ぐるものの絶間無く(ササぐるもののタママナく)、
子孫の(ウミノコの)
弥栄継ぎに(イヤサカツぎに)
栄えしめ給へと(サカえしめタマへと)
畏み畏みも白す(カシコみカシコみマオす)、
惟神霊神幸はへませ(カムナガラタマチはへませ)、
惟神霊神幸はへませ(カムナガラタマチはへませ)。
 一本の草でも干して貯へておけよと申してあろがな。四月二十三日、三の一二のか三。


第十一巻 松の巻 / (つのキ)


 第二十一帖 (三一二)
 旧九月八日からの祝詞は初めに、ひとふたみ唱え、終りに百千卍(ももちよろず)宣(の)れよ。お神山(やま)作る時は、何方(どちら)からでも拝める様にしておけよ。一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。神徳貰へば何事も判りて来るのざぞ。要らんもの灰にするのざぞ。息乱れん様にせよ。七月七日、アメのひつくのかみ。


 第二十一巻 空の巻 / (三のキ)

第二帖
 ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、蘇(よみがえへ)るぞ。

第十三帖
旧五月五日からの礼拝の仕方書き知らすぞ。
 朝は大神様には一拝、二拝、三拝、八拍手。「ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら 々々 、ひふみゆらゆら 々々 々々 。」

ひふみ祝詞のりてから、

御三体の大神様 弥栄(やさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ、天之日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ、地の日月の大神様 弥栄ましませ弥栄ましませ」八拍手「御三体の大神様」七回のれよ。

終りて大神様のキ頂けよ、八拍手一拝二拝三拝せよ

夜は同じ様にしてひふみ祝詞の代りにいろは祝詞のれよ。三五七に切りて手打ち乍ら ひふみ祝詞と同じ様にのりて結構ぞ。

昼は大地に祈れよ、黙祷せよ。時に依り所によりて、暫し黙祷せよ、お土の息 頂けよ、出来れば、はだしになってお土の上に立ちて目をつむりて足にて呼吸せよ、一回、二回、三回せよ。

神々様には二拝四拍手。「ひふみゆらゆら、 々々 々々 、 々々 々々 々々 。」
天(あめ)の数歌 三回唱へ。「神々様 弥栄ましませ弥栄ましませ」とのりて四拍手せよ。誓は時に依りてよきにせよ。

 霊の宮には一拝、二拍手、天の数歌一回「弥栄ましませ弥栄ましませ」二拍手、一拝。

でよいぞ、ひふみゆらゆら いらんぞ、誓(ちかい)はその時々に依りてよきにせよ。各々の先祖さんには今迄の祝詞でよいぞ。
 当分これで変らんから印刷してよく判る様にして皆の者に分けて取らせよ、弥栄に拝みまつれよ。


第二十四巻 黄金の巻


第四十四帖

 奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。
 ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
 かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
 御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。
 世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。
 まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
 三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。
 大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。
 天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。
 堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
 したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
 大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
 かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
 神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
 国原は、大波うちて、みふみを拝す。
 天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
 大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
 天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
 一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
 大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。
 すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
 高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
 吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。
 天地も、極まり泣かん、この時にして。
 かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
 天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
 大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
 みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
 宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
 抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。
 言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
 ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。
 ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。
 大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。
 今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。
 祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
 いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
 ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
 言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。
 天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
 あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。
 走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
 みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。
 神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
 みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
 あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。
 さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。
 みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
 いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。
 かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
 追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
 追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
 みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。
 と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
 まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
 たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。
 むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
 狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
 神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
 言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
 にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
 大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
 道端の、花の白きに、祈る人あり。
 拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。
 悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
 祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
 のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
 御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。
 悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。
 曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
 奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
 ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。


第二十六巻 黒鉄の巻


第三十九帖

 ひふみ神言

ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。ひふみゆらゆら。

 あめつちの数歌

ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり。
ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり、もも、ち、よろづ。

 ひふみ祝詞(○印拍手)

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ (30)
   ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ (28)
 そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。

 いろは祝詞(○印拍手)

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
   いろは にほへとち りぬるをわかよ たれそ つねならむ
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
 うゐのおくやま けふこ えてあさき ゆめみしゑひもせすん。

 アイウエオのりと

アイウエオ カキクケコ サシスセソ タチツテト
ナニヌネノ ハヒフヘホ マミムメモ ヤヰユヱヨ
ラリルレロ ワヰウヱヲ 、


第二十七巻  春の巻


   第3帖(660)
掛巻も、畏き極み、九二つ千の、清(スガ)の中なる大清み、清みし中の、清らなる、清き真中の、よろこびの、其の真中なる、御光の、そが御力ぞ、綾によし、十九立(トコタチ)まし、大九二の十九立(オオクニのトコタチ)大神、十四九百ヌ(トヨクモヌ)、十四(トヨ)の大神、瀬織津の、ヒメの大神、速秋の、秋津ヒメ神、伊吹戸の、主の大神、速々の、佐須良ヒメ神、これやこの、太日月  (オオヒツキ)、皇神(スメカミ)の御前畏こみ、謹みて、うなね突貫き、白さまく、ことのマコト(真言)を。伊行く水、流れ流れて、月速み、いつの程にや、この年の、冬も呉竹、一と夜(ヨサ)の、梓(アズサ)の弓の、今とはや、明けなむ春の、立ちそめし、真玉新玉、よろこびの、神の稜威(ミイヅ)に、つらつらや、思ひ浮べば、天地(アメツチ)の、始めの時に、大御祖神(オオミオヤ)、九二十九立(クニトコタチ)の、大神伊、三千年、またも三千年の、もまた三千年、浮きに瀬に、忍び堪えまし、波風の、その荒々し、渡津海(ワタツミ)の、塩の八百路の、八汐路の、汐の八穂合ひ、洗はれし、孤島の中の、籠らひし、籠り玉ひて、畏くも、この世かまひし、大神の、時めぐり来て、一筋の、光の御代と、出でませし、めでたき日にぞ、今日の日は、御前畏こみ、御饌御酒(ミケミキ)を、ささげまつりて、海山野(ウミヤマヌ)、種々(クサグサ)珍(ウズ)の、みつぎもの、供へまつりて、かごぢもの、ひざ折り伏せて、大まつり、まつり仕へむ、まつらまく。生きとし生ける、まめひとの、ゆくりあらずも、犯しけむ、罪やけがれの、あらむをば、祓戸にます、祓戸の、大神達と相共に、ことはかりまし、神直日、大直日にぞ、見伊直し、聞き直しまし、祓ひまし、清め玉ひて、清々(スガスガ)し、清(スガ)の御民(ミタミ)と、きこし召し、相(アイ)諾(ウズナ)ひて、玉へかし、玉はれかしと、多米津(タメツ)もの、百取(モモトリ)、さらに、百取の、机の代(シロ)に、足らはして、横山の如、波の如、伊盛、栄ゆる、大神の、神の御前に、まつらまく、こひのみまつる、畏こみて、まつらく白す、弥つぎつぎに。
 新玉(アラタマ)の 玉の御年(ミトシ)の 明けそめて 罪もけがれも 今はあらじな
 節分の祝詞であるぞ。太のりとせよ。いよいよの年立ちそめたぞ。うれしうれしの御代来るぞ。
(一月の三十日、日月神。)


補巻 月光の巻


第五帖

 十くさ、十二くさのかむたから、おきつかがみ、へつかがみ、八つかのつるぎ、九つかのつるぎ、十つかのつるぎ、いくたま、まがるかへしのたま、たるたま、ちかへしのたま、おろちのひれ、はちのひれ、くさくさのひれ、であるぞ。む、ひと、ふた、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり、う、であるぞ。う、たり、ここ、や、なな、む、いつ、よ、み、ふた、ひと、む、であるぞ。となへよ。のりあげよ。